2015年06月14日

砂浴4「分別の盛り場」

仲良きことは、「いやしいこと」だからな。
仲良きことは、「さもしいこと」だからな。


奥村真詩集『分別の盛り場』所収「麦人」の一説である。
奥村真『かまいたち』.jpg

奥村真「麦人」部分.jpg

まことに恐れおおくも、
聖徳太子のお言葉に逆らってなんであるが、
奥村流にいえは、17条憲法はこうなる。

「和」を以て、卑しいとなす
「和」を以て、さもしいとなす

奥村真はこう書くだけあって、
空気を読まないことおびただしく、
あるいは読んだとしても空気に従わざる事、岩の如しで、
隣席のよっぱらいに、「うるさい!」と言い放ってこの酔っ払いに殴り殺されてしまった。

その酔っぱらい、前科何犯とか、
体重100キロ近い巨漢であったのだ。
か弱い文人、奥村真にとって、
もうこういうのは、人間というより機関車であり、
トラクター、ユンボウ、戦車の類である。

こんなものにイチイチ逆らってどうする気だ!
といいたいが、彼は前言取り消さず、
2度まで言い放ったのだ。

このクダリをいちいち詳述して、
彼の詩編を紹介したが当社イガイガボン『ぬらり神』。
詩誌『光芒』で健筆を揮う高橋馨氏には、
「彼こそが真の詩人」、
また、「これぞ、詩人の死に方」と褒めたたえてもらった。

いまどきは奥村タイプの詩は少ない。
一見、精魂こらし、
技巧も華やかな詩文であふれているようで、
どれもみな、17条憲法。
和を以て尊し、「和」に逆らわない。

小さく小さく縮こまり、
器用に上手に外界をピタリと閉ざして進む。
それぞれにテーマがあるように見えて、
言っていることはただ一つ、
「私は用心しています」、これだけ。

いうほどのことだろうか?
そしてその魂胆は?
ただいやしいのだ。たださもしいのだ。
これでは人は救えない、
それどころか、我が身も守れない。
いざとなればムザムザ殺されてしまう。

なるほど、
17条憲法は大事である、
和を乱しては危険、奥村は殺され、
杉本真維子さんは、若いミソラで、ひどい腰痛とかで、
時々足をひきずって歩いている……
ろくな目にはあわないような気さえする。

だが我がジャパン国は、
この卑しい、さもしい「和」のために
一致団結クラッシュへとつっこみ、
300万人もの死者を出した国である。
「和」こそは危険千万,災いの元なのだ。

奥村真みたいに
命までも差し出そうとは思わないが、
腰痛くらいは、我慢して、
しっかり、「和」を撃退しなければならない……
かく私は思うのである。

奥村真・港.jpg










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2015年06月13日

砂浴3「和を以て尊し?」

これは、私たち日本人、みんなにあてはまるのではないか?
大事なのは人命ではない、正義でも、真実でもない、
「和」
ご存じ聖徳太子、17条憲法。
「和を以て尊しとなす」。

聖徳太子.jpg

良くも悪くも私たち日本人には、これが身についている。
あるいは身につきすぎているのではないか?

今風ににいえば「空気を読む」というか、
「和」の空気が醸し出されるのを、待つのだ。
クラッシュすれば、何より大事な「和」が生まれる。
外国人は驚くだろうが、
大事な「和」のためにクラッシュがいるのだ。

公害病など、公害企業が早期に
それなりの対策をとれば、その元々の根元を断つ事が出来る。
そうそうザクザク死ぬことはない。
そこまでムザムザ命を落とすことはない。

原子力発電所もそうではなかったのか?
文人詩人が、目下の勢いで、原発危険を騒いでいたら、
企業側もそれなりの地震対策でも着手していたのではないか?
ところが、まず誰も、誰一人として、声はあげなかったのだ。

かつてわが家の周辺で続発した公害病の場合、
当初はそれこれ声を上げ、役所にも出向いたりもしたが、
結局は、これで沈黙路線となってしまった。

「なにをやっても無駄です。10人20人死んだ所で、誰が信じてくれますか?
私達のようなのが、もっともっと沢山、100人、200人と死ななきゃだめなんですよ」

真っ暗な声で、こう言った人がいた。
クラッシュするまでは無理……
皆それには二の句はつげなかったのだ。

この公害病、詩人寺山修司の死因もこれ、
女プロレスラー某の死因もこの同じ公害病……と
それこれ情報が囁かれるが、ササヤキだけ。
大声にはならない。
つまりクラッシュするまで、手は打てない。
無駄だから、無駄声はあげない。

ではクラッシュすればいいのか、
それで解決できるのか。
原子力発電放射線被害者はどうなったのか。
生きて返してくれとまでは言えない。
せめて手厚く葬ってもらえたのだろうか?
ま、クラッシュしてしまえばもう墓どころではないのであるが。




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2015年06月12日

砂浴2「日本で道をきいたら」

日本で道をきいたら、驚いた……
外国人がTVで喋っていたのだが、
たとえば、こう答える日本人が多い。

「この道をまっすぐ進んで、突き当たったら左折して……」

突き当たったらが問題。
なぜいちいち突き当たらなくてはいけないのか?
いちいち突き当たってクラッシュしなければならないのか?

なるほどそうである。
私たちは左折にしろ、
右折にしろまずは突き当たってクラッシュ、
それからでないと動かない……
万事につけ、そうではないか?

例えば、3・11東日本原発事故。
それが問題と分かっているはずを、
その時になるまで、
つまりクラッシュするまで、立ち止まりもせず、
スイスイそこまで、歩を進めてしまう。
いざ突き当たって、盛大にクラッシュ、
さんざんの大惨事となって……慟哭、
慟哭の書が巷に溢れかえる事態となってしまった。

当然ながら福島県出身者が多い。
在住者もいる。
大変な慟哭の傑作本が書いているそうだが、
なぜ今頃書くのだろう。
なぜもっと前に書いて、警告しなかったのか?
特に福島県出身者。
かれらが危険を知らないはずがない。

詩人の杉本真維子さんが
「福島は威張るな」と発言して物議をかもしたらしいが、
この辺りを思って共感している人も多いのではないか?

この多勢の福島文人のいくらかでも
その前に騒いでくれれば
ここまで被害は拡大しなかったのではないか。
それなりの防御体制も整えて、
多数の命がた助かったかったのではないか?

よくは知られていない公害病だって、
砂浴など、対応策があるのである。
誰でもが知る放射線被害、
防御の方法だっていくらでもあったはずだ。

けれどけれど、
福島県人はひたすら沈黙、ただ待ったのだ、
クラッシュまで、盛大にクラッシュ……
危険がしっかり明白となり、
原発はやっぱり危険と、
皆の合意が固まるまで、ひたすら待ち続けたのだ。





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2015年06月03日

砂浴1「戸沢タマさんが砂浴」

奇妙な豆本やら、「ドラゴン in the Sea」で
おなじみの戸沢タマ(英土)さんは、
4年前に胸に腫瘍を発症、何人もの医師についてきたのだが、
はかばかしい成果はないままに、最近いよいよ体調悪化、
電話でもしゃべれない有様で、思い切って
砂浴でもやってみてはどうかということになった。

砂浜なら富津海岸、
我が家から徒歩4分ということで、なんとか海の砂に
漬け込んだのだが、特に快適にもならないまま、
はるばる館山から看病手伝いにきた舞踏の高梨君に
支えられて、我が家に運びいれるや
ウンウン唸っている。

異様な頭痛で苦しいとか、いっそ悪化したのではないかと
クヨクヨしながら帰宅し、東京へ戻ったのだが、
2日後、「なおった」とか、息はずませて電話がきた。
声が違う。
昔に戻っている。
元気な昔の声だ。

砂浴は、
元々は「あなたと健康社」の食餌療法の大家、
東條百合子氏が提唱されているもので、
夏になると全国各地の砂浜で開催されている。
まずはそこに参加するのが一番だろうが、
それでは間に合わない時は近場の砂浜でやることになる。

どういう病というのではない、
なぜか殆ど好転する療法で、
ひょっとすると公害病にもいいのではないか?
公害病患者も確かに2名参加,好転している。

以前、公害病のサイトをやっていたことがある。
初期のうちに気がついて手を打てば回復するもので、
あの手この手の直し方、専門医の紹介を掲載していたのだが、
まず初期の人は来ない、来る人来る人、重篤化した人ばかり。
病自体があまり知られていない場合は、
いよいよとなるまで、それとは気が付かないのだ。

「入院してますが、もう手は打てません」、
「今、死もましてん、どうもなりませんでした」……との電話が相次ぎ、
無力感に襲われてしまった。

公害病といっても、水俣病とか喘息のように
明確な症状が出る場合は手が打てる。
だが特定の症状が出ない病気の方が多い。
気づいたときは、もう遅い。
2、3日で、亡くなられる方もいる。

例えば水道汚染。
絵画作家、谷敏行君の場合、
一家中が一度に重病との診断されたのだが、
一人は腎臓、一人は高血圧、一人は肝臓、一人は半身麻痺とか、
皆病名も違う。原因がわからない。

原因を特定したのは弁護士。
水道汚染、微量ながら長年、有害毒物入りの水を飲み続け、
堆積した毒物が、それそれ弱い部位を直撃しての症状だとして
緊急転居を指示された。
住まいの一帯で、行政を相手取っての裁判が多発していたのだ。
ところが結局、谷君の場合は家族それぞれの医師の意見もあるわけで
公害病など、信じられなかったのではないか?
転居もしないままで、まずは父上の逝去に始まり
つきつぎに重篤化され、3年前に本人自身が死亡してしまった。

砂浴は病名特定できないままでいい。
富津海岸の場合は、ギリギリまで搬送、あとは5m程度歩くだけ。
そこに砂穴を掘るので、相当な重症化した人でもかまわない。

最近は公害病でも患者が急増。
かってWEBサイトで紹介した医師たちも異様なまでの盛況で、
なかには診察まで1年以上も待たされる。
待つあいだにちょっと試してみられてはどうだろうか。






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2015年05月21日

南風桃子詩集『うずら』

九州はもう春なのかな?
大分県から、とっても可愛い詩集が送られて来た。
南風桃子さんの『うずら』
コロっとしたうずらちゃんの絵が、あちこちに散らばっていて、
これがまた可愛い。

南風桃子著『うずら』空とぶキリン社刊.png
南風桃子著 『うずら』 空とぶキリン社刊

南風桃子A.jpg
南風桃子さん
 
で可愛い可愛いを連発しながら、ページをめくって行くと、
おやおや可愛いだけでは、すまないので、コロッと、なにか変なもの、
こんなことを言っては神様に失礼と思うものの、
神様みたいなも のが、転がり出てきて……びっくりしてしまった。

天にこだまする福助の声
 
――おまえはカゴの中のうずら。
  いついつでやる?
  生きてる間に出られるとよいがな
  生きておる間にな
  イヒ。
  ――by 福助
       「福助」から(詩集『うずら』所収)

 
自由気ままにしてるようで、人もまたうずらと同じ、
いつも檻の中、なかなか出られない。
「出たぞ!」と思っても、たいがいは別の檻に移っただけ、
おそらくは生涯、檻暮らしではないだろうか?
 
この福助は違う。
平然と檻の外にいて、笑ってる。
おそらくは地球の外であろう。そんなところにいて、
酸欠にもならず、「イヒ」なんて、すごいではないか?
威張るでもなく、力むでもなく、サラリと「イヒ」。
ここが凄い。
これは、並ではない、この福助は神様だと思った。
これこそは正 真正銘の神様だと。
 
思い起こせば、今まで、神様または
神様らしいものを拝んだ記憶がない。
両親は無神論、家には仏壇も神棚もなかった。
たまたま隣が、神主さん。お付き合いで買うハメになったと、
母が持ち込んだ大きな神棚を見たことがあるがそれっきり。
その後は見たことがない。捨てたのだろうか、バチアタリなことである。
 
親戚の家にいくとまずは仏間、どの家も浄土真宗で、
馬鹿でかいキンキンランランの仏壇に手を合わせて挨拶となるのだけれど、
仏壇だから、仏様の像があったはずだが、思い出せない。
記憶から外れている。
いったい何を拝んでいたのか?
問題は仏壇の上の写真。祖父さん祖母さん、
そのまた前の祖父さん祖母さんの写真やら絵姿が
額縁入りで所狭しにひしめいていて、仏様どころではない。
結局はこの方々を拝んでいたのである。
 
仏様の両脇に親鸞様、
その先生の法然様の絵姿を飾られたらどうですか?と
お寺様に薦められたことがあったと伯母は言うが、
この伯母の家でもどの家でも、親鸞様法然様は見かけたことがない。
 
親鸞様といえば、全国各地に自身で彫られたという彫像が残っているが、
眼光ケイケイ恐ろしいばかり、山賊の親分としか見えないのが多い。
家に飾って拝む気にはなれない。
法然さまは、穏やかなまあるいお顔、こっちは拝みやすいようで、
殆どのお姿が横向き。これが気になる。
ソソソソっと何処かへ行ってしまわれそうで、不安になる。
流罪に合われた方、私たちの世話どころではないのでは?と思ってしまう。
 
その点、この福助様は違う。
動かない。ぺたりと畳にへばりついている。
お顔は完璧な福相。どういじろうといじれない、
何があっても「福」から動かない固定型幸福の顔である。
この方を拝まないでおられようか!
 
昔からの正統派神様、イエス様やら仏様の手前、
大っぴらにはいえないのだけど、実は私たちは、
密かに密かに、この福助を拝んできたのではないだろうか?
心の奥の又奥の深いところに小さな座布団をしいて、
福助様をほっこりと乗せ、ほっと一息ついたり……
そうやってきたのではないだろうか。


QP人形
 
奇妙なエッセイも書く漫画家の戸沢タマさんは、
ちいさなころ、QP人形を神様として拝んでいたそうだ。
茶箪笥の上のQP人形に何かといえば、願い事をし、
災難を取っ払ってもらっていたらしい。

その話を聞いた時は、そんなもの拝むなんて気が知れないと思ったのだけれど、
このうずら詩集を読んで、戸沢さんの気持ちが分かるような気がした。
これならしっかりと分かる。
誰にでも分かる。怖いものでも、凄いものでもなく、
マヨネーズとか、美味しいものの世界の何かだと、わかる。
福助も同じ、足袋だか靴下だか、暖かーいものの世界のなにかだとわかる。
福助.jpg
そして仏様のように、イエス様のように、万年一律不変不死の方々、
このお二方が、神様となって何の不都合があるだろうか。
なんせ本邦ジャパン国は、
神様といえば八百万もおいでになるのである。
少々増えようが、構うことではない。

というわけで、このうずら世界では
「福助」神に加えて、QP神もまたおいでになるのである。
キューピー.jpg

「秋」
夏を超えて吹き渡る風
 
「稲がワラッテル」
 
と、QP人形が言っている
なるほど
黄金色の稲穂は
ホホホ
と笑っている


タイトルは「秋」。
その中ほどで、QP神がリンリンとして立っておられる。
「夏を超えて吹き渡る風」の「超えて」に注目してほしい。
「越えて」ではなく「超えて」。

現世から異界へ、異界から現世へ、
現世の夏から、神霊界の秋へ、
境界を超越して吹き渡る風の中にQP様はお立ちなのである。
いかにも楽々と軽やかに現世を超える世界、超えられる世界で、
うずら世界は展開するのである。

稲穂の実る黄金の秋、元気いっぱい目はパッチリのQPさんには、
都会の小部屋の茶箪笥より、輝く稲穂のうねる田畑が似合っている。
QP神やら福助神に守られて、
ここでは稲穂だって、お隣の奥さんみたいに「ホホホっ」と笑うのである。

日本の神様、古来からの由緒正しい神様は、姿形がはっきりしない。
八百万の神、800万いらっしゃるのだから、たとえはっきりしたところで
どうしようもないのだが、だからといって「鰯の頭も信心」など
「鰯の頭」に代理をさせるとは、なにごとであろうか!

鰯は瞬く間に鮮度が落ちてしまう。
店頭に並ぶのはいかにもいかにも情けないしなびた「お顔」。
これを神様とするには余りに申し訳ない。
それよりは福助、またQPがまだマシである。

総じて私たち日本人は日本の神様を拝まない。
仏様とかイエス様とか外来種ばかり、
みんなして命がけで拝んできたのだが、これらはなんといっても外来の方。
本気で他国の者の願い事なんぞ聞いて下さるだろうか?
彼等は彼等なりに自国のことを思っているはずで、
元々は自国のための仕事を行おうと上陸されたのではなかったか?

例えばザビエルが連れてきたイエス様。
これはもう、鉄砲抱えていらしたのだから明白。
日本制圧のためにいらしたわけで、
こういう方に助けてもらうなどとは、無理な話、
見向きもなさらないだろう。

ここからいうとQPさんも福助も純然たる日本産。
おまけに鰯の頭のように鮮度の落ちないお顔のうえ、
他国の特命を受けておられるわけではなさそう。
安心しておがめるのではないか。
さほど偉そうでない分、明日のお弁当のオカズとか、
亭主給料アップとかしょうもないことまでお聞き届けて下さるような気もする。

渡辺昇によると、天皇家のご先祖はおしっこの神様であるとかどこかで読んだ記憶がある。
ああ、こんな神様じゃ、戦争なんて勝てるはずもなかったと今にして思うのだけれど、
どうも私たちの国には弱そうな神様が多い。

対して、狩猟門族の神様、イエス様やらエホバ様は強力である。
旧約聖書の22章。エホバ様は、アブラハムに信仰心の証しとして息子イサクをささげよと命じ、
アブラハムは息子を殺して、その肉をあぶる香りを神様に嗅いでいただいて喜んでもらおうとしたり……。

いかにもいかめしく強そうな神様だが、ここまでの神様には、関わりたくない気がする。

だからといって外来の神様は出て行けというのではない。
ここウズラ世界ではどういう神様がこられようと、万事どこ吹く風で、
みなさまをおおらかにお迎えして、お元気でおられるわけで、例えば阿弥陀様。

五劫のすりきれるまで
修行したあみだ
 
ちょっとまだやってんの?
バッカじゃない?
美しい天女が
衣をひるがえしながら笑う

 
タイトルは「あみだ」。
今度は、インドからお越しの「あみだ」様。

天女にからかわれて、なんともぱっとしないお姿になってしまわれてはいるが、
たまにはこれもいいのではないか?
弁天さまはシャンシャン三味線ひいておられたり、やや様がわりしてはおられるが、
このうずら世界、楽しくしておられるようでそれが嬉しい。

かわりに「ダンゴムシ」やら「ヒメマルカツオブシムシ」やら、
普通ではパッとしない変な虫の方々は、ちと偉そうにというか、
それなりの確信をもって堂々と登場されているわけで、
ああ、これならば、私のようなチンケな者でも威張ってていいような……とか、ほっとするのである。

強力な神様とか何かにしっかり守られていたいというのは、
誰もが思う理想なのだけれど、後ではどうだろうか?
守ってやったんだから息子をくれ、とまではないとして、
何か代償がついていそうで、油断出来ない。
強力な神様、強力な哲学、強力なドクトリン、主義思想皆同じである。

戦後70年、平和続きというのは世界でも珍しいらしいが、
君主といえば、おしっこの神様の末裔、若者といえば、すっかりふやけた飽食青年ばかり、
これではもう平和以外はいきる術がないわけで、まことに不安この上ないのだけれど、
おかげで安穏平和な繁栄大国が実現しているとしたら、不安は不安として弱さを喜ぶべきかもしれない。

とはいえ女性は繁栄より「愛」である。
最後にうずら世界の愛どうなっているのであるか?

こんなに風のある日に
まちを歩くと
すてき
あなたのかけらが風にのって飛んできそうで
あなたの心のにおいとか
あなたのひとみのひかり
使いかけの骨とか歯
いろいろいろいろ
飛んできそうで
ああうれしい
うれしいな
おねがいわたしのなまえを呼んで
風のなかで今
わたしのなまえを呼んで

 
南風桃子詩集、愛の詩編「南風」の全文である。
「かけら」とか「におい」とか「骨」とか、が飛んでくる。
だが肝腎の「あなた」というのは、飛んでは来ない。
きそうにもない。ここが味噌。
 
「それでいい」と作者は思っているのだ。
全部はいらない。
そんな程度でいいのである。
それで十分なのである。

西欧狩猟民族の恋はこうはならない。
たとえば英国「嵐が丘」
相思相愛の恋人たちはバンリキの力をこめてヒシと抱き合う。
身体衰弱化、死にかけていても同じ。
オペラ「椿姫」。高級娼婦マルグリッド。
死のベッドの上で、声たからかに我が愛を唸り喚き散らすのだ。
 
こういう方々にとっては、愛のかけらなど、そんなものが飛んできた所で
蚊が飛んでるかていど、気づきもしないだとう。
 
どちらの愛が真実なのか?
どちらの愛が高級なのか?

それは置くとして、事は我が身である。
長く深く欧州型過激愛に憧れながらも
ついにありつくこともないままの恨み辛みからかもだが、
はたして実際に、そんなものが飛んで来たらどうなるか?
つまり「あなた」がここに飛んできたらどうなるか?

バンリキの力で、ヒシと抱きつかれでもしたら、長身痩躯ベジタリアンの私など、
小骨の3、4本はパリパリ折れまくって、大骨にもヒビなどはいったりして、痛さも痛し、
「愛」どころではない。
全部はいらない、カケラでいい、カオリ程度でいい。
これが「愛」なのだ。

おねがいわたしのなまえを呼んで
風のなかで今
わたしのなまえを呼んで

 
最後の3連が秀逸。
ここでも風が吹いている、知力の果ての異界ヘと吹き渡る風、
この愛は無限にどこまでも貴方を追って行くのだ。



posted by あがわい at 21:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

『ドラゴン in the Sea』下巻、在庫発見

iga004.png

品切れでご迷惑をおかけしておりました、『ドラゴン in the Sea』下巻の在庫を発見。
お正月の大掃除で、戸沢たまが、段ボール1ハコの下巻を見つけました。
ご入用の方は下記リンクをご参照ください。

オーダーフォームでのご注文
FAXでのご注文

振込先銀行口座一覧
(住信SBIネット銀行/みずほ銀行/ゆうちょ銀行)









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2014年08月16日

20周年クロコダイル朗読会『今日、短針だけの時計を買った』告知

クロコダイル朗読会
『今日、短針だけの時計を買った』のお知らせ。
なんと20周年だとか。

2014-09クロコダイル朗読会.png

日時:9月28日(日)

開場:pm 12:30
開演:pm 13:00(終了:pm 15:40)

場所:クロコダイル TEL:03-3499-5205 地図

料金:2,000円(ワンドリンク付き、当日券のみ)

出演
詩:長谷川忍
詩:阿賀猥
舞踏:十亀脩之介
詩:そらしといろ
詩:渡辺めぐみ
詩:広瀬大志
詩:浜江順子
詩:鈴木東海子
トーク:野村善和夫北川朱実建畠哲
詩:北川朱実
詩:建畠哲
詩:野村善和夫

お問い合わせ:浜江 TEL:042-582-0938

後援:思潮社

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2014年04月16日

照手姫、その後

照手姫2.jpg
まだまだ咲いてる、散らないのがいい。
中国では桜より、桃。
日本は散るのが好きなのかな?

花桃、照手姫は長生き。
同時期に咲いてた吉野桜、赤桜、
皆散り果てたあとも、こうして咲いてて頼もしい。
これからは照手姫、増やしたい。







posted by あがわい at 21:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

4・5/2014

産卵

わたしの肉の裂けたところから
小さな虫が
つぎつぎとわいては
とびだしていく

腐臭を放つ水辺をとびかい
交尾をくりかえしては
また
わたしの肉に
卵を産みつけて戻ってくる

そうして わたしの中に
無数の目ができる
目の数だけ世界が映る
狂いそうなほど



高階杞一詩集『千鶴さんの脚』から。
四元康祐撮影の写真と対応して書かれた詩。
 
どの詩にも写真がついていて、
時に意外な写真がついていて、いくつにもイメージが増殖、
複雑な幾層の層を持つ個人の、その「狂いそうなほど」大量に
降り積もった中のある1日をちらりと提示する。

人は複雑な生き物だ。
どうのこうの言葉で簡単に言い表す事は、できない。

すっかり、阿呆になって、
そこらの川でも下の海でも投げ込もうが誰も拾わないだろうと
つくづく我が身を断念している私でさえ、そうだ。
入り組んで錯綜して、訳判らない。
(名前が猥雑の猥。せめて名前だけでも簡単にしたい。
 阿賀ワイとカタカナに変えたらどうだろうか?)

どんなナマクラ者にさえ、沢山の情報は入り込み、
肉の中で産卵、そこでまた増殖。
宿主を変質させてしまう。

 ―― 私は誰? 私は誰? 

真夏の日に高階杞一さんは、海岸を千鶴さんと歩いている。
その中の一羽?

 ―― いいえ、いいえ

その1羽と思っていたのでしょう? 
でも私は実は千羽でいたのです。
これでは、あなたは狂ってしまう、
それで、ぱっと私は消えたのです。
 
 「千鶴さんの脚」はこう言ってニヤリ、ぽいっと点になって、見えなくなりました。 
発行・澪標(みおつくし)  ¥1500


増幅とか産卵とか、
同型のものが増えていくことが気になってならなかった。
以前書いた絵。
4_5_001.jpg
衣装だけが鮮明、人部分、顔部分は彩色も省略、
なかばないものとして個人が成立している。
顔がある、とか、しっかりした意見、または
見解があるということを疑惑している為に、
こういう絵になったのかどうか。
4_5_002.jpg
アヤランとの合作。

イガイガボンの朗読舞踏の報告、羊女神の表紙も子羊の増殖を描いてるが、
これは顔が全く同一である。 だから子羊は怖い。
4_5_003.jpg

高階詩集は、多数の中に見え隠れする個人、
同一化をされえない部分の個人を、そって掬い取る。
さりげない風情で……。





posted by あがわい at 23:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

照手姫

桜.jpg
一時期、隣家に私の母が住んでいたことがある。

新しい家が出来るまでの
ほんの短い期間でしかなかったのだけれど、
小さな庭は様々な花が咲き乱れていて、
今でも、近隣の方から聞かれる事がある。

あんな見事な朝顔は見たことがない、
いったい、どこで種を買われたのか?
すでに新居に移り住んでいる母に聞いてほしいという。

で、聞いてきたりもするのだが、
とうとう報告はしないままになってしまった。
余りにややこしいのである。

その店で買ったというだけでは駄目。
問題は育て方。
種植えからまず尋常ではない。
拡大鏡で胚芽のあたりのどこそこを、
小さなカミソリでカットして……
ま、簡単にはカット出来ないので、
ここにも又、秘術があるわけで、
……と始まって、
メモ帳も延々、限りなく続き……

母がこういう、しつこい性格とは知らなかった。
年寄りになり、家業を引退、
有り余ったエネルギーを花につぎ込んだのか。

我が家も常時花盛り、母のごとき
馬鹿な努力はすまいと心に決めてはいるものの、
傍目にはどうか?

庭作りの鬼とも見られていないか。
終始、私は庭にいて、
木々とばかり喋っているような気がする。

特に庭作りしているわけではないが、
庭というのは、手間暇かかるもので、
油断すれば藪になってしまう。

照手姫は、柴犬サクラの家から5本もらった内の3本。
1本は隣家の元母の家の玄関に生えている。

今は一斉につぼみ。
照手姫 つぼみ.jpg
何ともいえない華やかなピンクであり、
お目見えはもうすぐである。

今年はうれしいことに、子供が2本。
細く細く土から足を突き出している。

緑の小さな葉っぱを帽子のように
その先につけていて、なんだかとても頼もしい。

こんにちわ!照手チャン!
照手姫.jpg


posted by あがわい at 22:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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