2015年09月13日

セントバーナード

イガイガボン夏期は、標高1200m高原地帯に移転して制作する。
犬猫全員同伴。
近くに軽井沢オモチャ王国とホテル群。

犬たちはホテルの庭をめぐる小川で水浴、
ご機嫌だが、早々散歩に連れ出すわけには行かない。

休暇ではない。
ここは仕事をするために来た。
庭に金網を張り巡らして犬たちは放し飼い、
散歩の手間を省いているが、
この犬用の塀の門が、何回か開けっ放しの時があった。

1匹は大型犬セントバーナード。
体重70キロを越す。
そこらを歩いたら怖がるひとも少なくない、必ず施錠して寝る。
ただし、犬用の施錠、人間は簡単に開けられる。

ところが2、3回、開けっ放しのことがあった。
その後、犬は体調不全。
獣医と相談中にそれを思い出した。
門が開いていたことがある。
原因はこれではないか?
誰かが故意に開けはなち、毒物を?

だが、医師も、漫画家戸沢タマさんもこれは否定的。
「毒物混入では証拠が残る。
犬の事故死は器物損壊罪が適用、
警察が乗りだす、犯人はそういう厄介はしない、
病原菌、寄生虫の卵とか、べったり満載の食物を食べたのではないか?」


犬種はセントバーナード、性格は穏和かつ聡明、
だがやたら腹を空かせる大食が欠陥。
ところが、どういうわけか、門が開け放たれていた朝に限って、
朝食をせがまない。
この犬種にはあり得ないことだ。

ああ、早く朝ご飯、早く早く、
私は死にそうです……という必死の形相で迫ってくる。
ところが、門が開いていた日は違う、
呼ばないと出てこない、のろのろときて大欠伸……
戸沢説が正しいか?

やややや、DZ、つまりドラゴンZに関わりあったばかりに
作者の私にも、魔の手が……!!
まさに松尾芭蕉の虚実皮膜論。
これを一歩進んで、物語が現実を踏襲し始めた……?

『ヤクザみたいに綺麗ね』、
「やくざ」という言葉に拒否反応のひとも多かった。
私はその被害に遭ったことがないせいか、
取り立てての悪い思いはない。
どちらかというと「綺麗な人」との印象が強い。
幼き日を共に過ごしたチビヤクザ?
君の思いでのせいだろうか?

彼の話は、いずれ書きたい。

チビヤクザ「コウモリの安」、私達は家族だった。
父は息子以上に彼を愛していた。
彼を取り戻そうと悪戦苦闘した。
亡き父の思いを伝えたい。


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2015年09月08日

ドラゴンZ・DZ

発売中の『ヤクザみたいに綺麗ね』には沢山のお手紙をいただいた。

「こんなにも強烈な匂いを放つラブソングがかつてあっただろうか。」
これは、平居謙さんの感想。

ハッピーエンドに終わる、かなり強烈なラブロマンスだが
どこかしら危険の香り……スリラー小説でもある。

主人公はDZ(ディーズィー)、通称ドラゴンZ。
TVキー局に勤務、マスコミ最前線を突っ走るキャリアだからだ。
何はなくともこういう仕事はどこか危険がついて回る。

DZも同じ、終始何者かが追跡、
DZは隣家の藪に隠れて、あるいは全室消灯して、鍵穴から追跡者に見入る。
大規模、周到な追跡、簡単ではない。
背後に巨大な犯罪が隠されているのではないか?
大量の犠牲者、非業の死者、すざまじい卑劣、
それらいまわしいものが、隠されているのではないか?
命を惜しんでいる暇はない、大きなネタになる可能性があるのだ。

DZはなにを知っているのか?
DZはどこでなにを見たのか……?
すべて思い出すことができない、
自身のかこを辿ろうと、ある時はアメリカ、
ある時はチュニジアに飛ぶ……

一部は私の体験が混じる。
私のかっての勤務先はTV局。
所属は編成部。
制作部門と違って、同時に複数のドラマ、ショー番組、
報道番組を担当、広域を視野に入れて、手を打って行く。

自然に行動範囲も広域に広がり、簡単には過去を辿れない、
過去はたちどころに忘れる、忘れて動き回る。
過去を思い出せないのだ。

勤務当時、いくつか、不可解な事件に遭遇、
周辺で命を落とした者もいる。

取材当日、現れないので不審に思って自宅を訪問したら当人は変死……
これは他社の映画監督の失態。
そこまでして知る必要があったのだろうか?
犠牲者は出すべきではない。

敵は外国諜報機関。
妻子と別居、2週間ごとにホテルを変えて転々の人もいた。
辛くも生き延びて栄達?を極めたり……
ほとんどが知らぬ間に巻き込まれてしまったもの。
TVは娯楽提供が使命。
犯罪摘発は範囲外、
安全地帯を歩いてるはず……という油断が災厄を招いた。

目下の私は娯楽本を制作、
楽しければいい、という油断が災厄を招く?とも限らない。



posted by あがわい at 23:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月27日

パスカル「人間は考える葦である」

本当だろうか?人間が考えるか?
ただただ「仲良きこと」が好きなだけではないか?
人はただただ、隣の人を真似て、揺れているだけではないか?

特に葦をみるとそう思う。
風に煽られて左に右に整然とうっとりと揺れているのを見るとそう思ってしまう。

風にくねる葦原、葦は1本では生えない。
河原を湿地を、何千、何万と群になって、群生する。
群生して同じように動く、全く同じ形で揺れる。
人もまた葦のように揺れているだけ、考えないのではないだろうか?
芦原をみるとそう思ってしまう。

パスカルは1本の葦という。
で、その中から1本、引き抜いてみる……
いやまず不可能だ。
引き抜けないのだ。

いかにも弱そうな植物のイメージだが、葦は逆。
根が深い。
背丈2mなら根もまた2mかそれ以上はある、
それも垂直に下に延びているので、ガンとして引き抜けない。
だから強い、だから風に揺れることができる。

だがこんなにたくさんなのだから、
中にはガンとしてゆれない1本があるかもしれない。
いちいち逆向きに揺れる葦もあるかもしれない。

他よりはちと幅広で、かなりのろまで、揺れることができなかったり、
あるいはただ勝手放題の我が儘で……
ひねくれくねって揺れていたり……?

芦原のどこかに揺れることが嫌いな奥村真が、
バクーニンが、また和服姿の世之介が、
ムカっとした顔を細長〜〜〜い穂の先にチョコンとつけて、
揺れずにガンと立っているような気がして、ふっと芦原に見入ってしまった。
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2015年08月23日

横尾忠則 Tadanori Yokoo "Swimming Girls"

画家・横尾忠則氏による個展 "Swimming Girls" のお知らせです。

横尾展-1.jpg

[会期] 2015年8月26日(水)− 2015年9月19日(土)
[会場] 南天子画廊 nantenshi gallery

開館時間:10:30−18:30
休館日 :日曜日
オープニング:2015年8月26日(水) 17:00-19:00

南天子画廊 nantenshi gallery
〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-5 TEL:03-3563-3511

横尾展-2.jpg

また、
「藍と茜 インドネシアのイカットと更紗展」のお知らせです。

横尾展-3.jpg

会期: 8月15日(土)─ 27日(木)(12AM-7PM)
場所:新宿御苑前 ギャラリー・フラド



posted by あがわい at 20:18| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月20日

奥村真とバクーニンと世之介

「仲良きことは、あさましきこと」
「仲良きことは、さもしきこと」


これは普通にいえる言葉ではない。
普通のひとでは言えない。

ぬらり神.png

ちょっと変わったことを言ってみたかっただけではないか?
思いつきで言っただけではないか?

違う。
まずは飲み屋の給仕がこういうのだけれど、この給仕、前世の世之介の時から言い続けているのである。
世之介は江戸時代の有名人、井原西鶴「好色一代男」のヒーロー。
前世の代から江戸の頃から言うのだから、脈々と時を越え時代を越えていく「何か」
真理のような理念としているのだ。

井原西鶴.jpg

江戸時代町人と言うと、TVではなんだかやたらヘラヘラしているだけだが実際は違う、
当時の江戸大阪といえば、世界に冠たる大都市。

その繁栄を地盤に町人たちの学問が大流行、
空前の町人文化を作り上げていたわけで、数多くの私塾が林立、
伊藤仁齋などは、門弟3000人というのだから今時の大学なみ。
塾によっては儒学だけでなく物理学、数学など、地動説も、教えていたようだ。

世之介はその江戸時代の町人なのである。
並でないエリートなのだ。

そしてもう一人がタイトルの「麦人」。

これは、マルクスと並んで共産主義革命を担ったロシア貴族、ミハイル・バクーニンのこと。
バクーニンはタイトル以外は出てこないが、
まさにこの男が、「仲良くない」のである。
どうあっても仲良きことを拒否。
闘争一筋。

これでは革命もうまくいかないわけで、
革命前線からもついには放逐されてしまう。

つまり、バクーニン、損得抜きで、仲良きことを嫌っていた人物か?
あさましいこと、さもしいことが、イヤでいやでしょうがなかった。
なんとしても我慢できなかった……
そういう男だったのではないか?

同じように思わない人はどこにでもいる、
ガリレオもそうだし、アダムスミスだってそう。

ナチス、ヒトラー政権99%の大人気というが
そんなドイツだって、なびかないひとは1%は、いたのである。

posted by あがわい at 22:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

妖精珍種2 マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店

何のために書くのか?

さて話は英国ではなく、日本国である。
自分探しとか真実追求とかで、各という人が多いが、
自分なんて知ってどうなるものでもない。
うんざりするのがオチ。
真実も同じ、食ってうまいわけはなし、そんなもの追っかけるはずがない。
むしろ逆。
自分から離脱したいのではないか?

まず自分は見ない。
真実も無視、
ぱっとしない自分から離脱してパットする別の人物に変貌する、
または変貌しようとしてシシとして文字を書き連ねるのだ。

明治のエリート漱石ならんとして、
19世紀パリを闊歩する若きランボウになろうとして、
あるいはすでになったつもりで……とか。
離脱の解放感、物まねの喜び、ここに極まるのである。

ともあれ、詩編たるものどういう辛い苦しいものを、
書き連ねていたとしても、裏には、こういう嬉しい楽しい事情があるのだ。

物まねは楽しいだけではない、
物まねの方がよほど安心して読んでもらえる。
たとえば、歌謡曲。

物まね専科のコロッケを見るがいい。
アマタの歌手の歌い方から、表情まで、
しっかり細かくまねをして、大受けに受けて何億とかの豪邸を建てたそうだ。

物まねはする方も快適だが、聞く方も快適なのだ。
元々はかって大ヒットした曲。
なじみの旋律で、まずは無事に着地するはず。
安心して聞いておられる。

本物はこうは行かない。
聞いていて不安になる。
安全第一、無事が一番の昨今では、
どこもかしこも物まね一色、
本物が出る幕がなくなってしまった……かとさえ思われるが、
にかかわらず、である……漱石だの、ランボーだのは、介在させない。
自分一個を押し通す、
なにが何でも自前で、押し通すのが、たまにいるわけで、
これが細田傳造。

書くのは目前の事実。
過去ではなく、今の事実。
今の自分自身。
なにも風光明媚な富士山麓まで、
都会の雑踏やらゴミ屋敷を持ち込むこともあるまいし、と思うだろうが、
ここが傳造、これこそが傳造たるところ、
ワケのわからん無頼のカタマリとして、
所かまわず、無頼の詩をはじき出していく……
見事アッパレ、細田傳蔵なのだ。



「シャチョウ、ヘルス」

新宿の裏通り、深夜、背後からこう呼び止められた。
振り向いたが誰もいない。
こちらは女性、大柄、かっぷくはいいし、
男性と間違えられることの多い戸沢タマさん。

立ち止まって目を凝らすと、いかにも真面目、
しかっり真面目、どこを切っても真面目しか出てきそうもない
まさに、「真面目課長」という風情の男が、
ビルとビルの陰に潜んで、ひょいと出たり引っ込んだりしている。

「社長、ヘルスは、いかがですか?なんなら今からお連れします」

ちょいと裏通りに入れば陽気で楽しい天国があるのだ、
そこでは、天使たち、それも妙齢の麗しの妖精たちがワンサカ待っている。

ちょいとした金で、誰でも生きながらこの天国に遊ぶことが出来る。
この天国でのひとときを生き甲斐にしてる人もいるだろう。
カンバセ悪く、心映えもイマイチ、
その昔なら生涯「女」のオの字さえ拝めなかった男でさえ、
ちょいとの小金をこの女天国に遊ぶ事が出来る。

よくぞ経済大国、
風紀ビンランの日本に生まれてきたと涙する男も多いのではないか?

西欧天国は違う。
神様といえば、要介護3度一歩手前の白髪爺さん。
それにへばりついて、でっぷり太りまくった赤ん坊天使たちが
ぞろり、ひしめいて浮かんでいる。
言わずもがな、彼らは皆、糞尿垂れ流しである。
こんな天国なんぞ、うっかり迷い込んだら、何という苦労だろうか!
こんな所には、紙おむつ業者以外は誰も行きたくはない。

西欧文明、ちょっと見は、カッコいいのだが、
よくよく精査すると、簡単じゃない。
明治以来、詩も小説も西欧権威の物まねに死力を尽くしてきたが、
さてその果てはどうなるのか?

ここは歌謡曲とは違う。
コロッケみたいに御殿は建てられない。
待っているのはどこまでも無限に続く糞尿満載の汚物天国、大変である。

物まねは楽しい、うれしい、読んでいても安心……と呑気にしていると
あら大変、とんでもないところに行ってしまうのだ。

だから細田傳造は、自前で行く。
自前の天国をしっかり掴んではなさない、
西欧天国を寄せ付けないのだ。

自前の天国、「マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店」を
どこまでもどこまでも、がっちり抱えて今日も行くのである。
マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店.jpg
戸沢タマ画:「マットヘルス妖精ちゃんたち2号店」




posted by あがわい at 21:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

妖精珍種1 細田妖精

支倉隆子戯曲「洪水伝説」は、全国各地を公演。
もう11回目になるが、1回ごとに趣向を凝らして飽きさせない。

第11回・洪水伝説.jpg

富士吉田市の富士山駅から徒歩10分、
画廊兼喫茶店での公演では、最後にリレー詩、
数人が同じタイトル「妖精」で、1編ずつ朗読したが、
それぞれの妖精がそれなりの妖精で面白かった。
以下は細田傳造さんの「妖精」。

細田傳造「妖精」.png

この妖精は、マットヘルス駅前2号店のお嬢さんたち。
ヘルスの妖精たちを自宅に呼び込んでのらんちき騒ぎで、気を吐いている。
ちょいと手強そうな妖精だが、ひょいと消えてくれるところがいい。
ここが妖精の真骨頂だ。

奥さんはこうは行かない。
ガンとして消えない。
しぶとく長々と亭主をいじめ続けるのも多い。
だが、いじめてくれる女が皆無を言うのもちょい寂しいもの、で
ドカンと駅前ヘルスから借りてきたという算段だ。
こっちが案外やすあがりかもしれない。
 
詩といえばまずは悲劇。
ヨーロッパ上層階級の学問のながれの中を泳いできた西欧詩篇は、
深遠かつ高雅な古代ギリシア、ローマ文学がお手本。
目の前の事実は書かない、繁栄も書かない。
だから、こういう楽しい詩は珍しい。滅多にお目にかかれない。
18世紀マウンドビル以来か?
(というと大げさに聞こえるが、本当にこの類は見かけないのだ)
 
売り子.jpg


マウンドビル
マウンドビルの場合は、ぐっとえげつない。
あくどいまでの事実であり、とことんの繁栄、
うんざりするまでの繁栄である。
そこまで突き進む。
 
何せ長い、細田詩編の100倍くらいか?
延々と続くのだ。
次から次に事実が並び、繁栄はとことん極まって、
それでもあきずに、またその先へと進むのだ。
 
作者マウンドビルは本職は医者兼理髪師、
国籍はオランダだが、金満王国英国で大ヒット、我も我もと読まれた。
だが、しっかりした方々、上層のお歴々は怒りまくり、
特に教会。
しつこく長々と真ウドビルと攻撃、裁判提訴する……
キリスト教では贅沢と貪欲が悪徳、
そればかりを書きまくるのだから、始末に負えない悪書ということになる。

ところが、お歴々の中に一人、例外がいたわけで、
この例外人が、この延々たるなかから、不変不滅の経済理論を、掴み取るのだ。

ご存じ、グラスゴー大学の哲学教授アダム・スミスの「見えざる手」だ。

アダム・スミス.jpg

すでに「道徳情操論」で、大ヒット、
令名すざまじく、アカデミーに出向くと
会員総立ちで出迎えたという大物中の大物が
この悪徳詩編に熱狂、ここからあの長々しい、
あまりに長々しい「国富論」を書き始めたのだ。

とはいえマウドビルの方は、
何かをつきつめようとして書いたわけではない。

面白くなって延々とただ延々とつづけたのではないか?

ふっと気がつくと期せずして、不変不滅の論理、「見えざる手」を浮上させていたのだ。
えてして思った所には行かない。
時としてとんでもないところに行く。

これまた見えざる手であるが、
悪徳が善なる世界を築いていく様をありありと、
誰でも見える形で書き連ねたのだ。


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2015年06月14日

砂浴4「分別の盛り場」

仲良きことは、「いやしいこと」だからな。
仲良きことは、「さもしいこと」だからな。


奥村真詩集『分別の盛り場』所収「麦人」の一説である。
奥村真『かまいたち』.jpg

奥村真「麦人」部分.jpg

まことに恐れおおくも、
聖徳太子のお言葉に逆らってなんであるが、
奥村流にいえは、17条憲法はこうなる。

「和」を以て、卑しいとなす
「和」を以て、さもしいとなす

奥村真はこう書くだけあって、
空気を読まないことおびただしく、
あるいは読んだとしても空気に従わざる事、岩の如しで、
隣席のよっぱらいに、「うるさい!」と言い放ってこの酔っ払いに殴り殺されてしまった。

その酔っぱらい、前科何犯とか、
体重100キロ近い巨漢であったのだ。
か弱い文人、奥村真にとって、
もうこういうのは、人間というより機関車であり、
トラクター、ユンボウ、戦車の類である。

こんなものにイチイチ逆らってどうする気だ!
といいたいが、彼は前言取り消さず、
2度まで言い放ったのだ。

このクダリをいちいち詳述して、
彼の詩編を紹介したが当社イガイガボン『ぬらり神』。
詩誌『光芒』で健筆を揮う高橋馨氏には、
「彼こそが真の詩人」、
また、「これぞ、詩人の死に方」と褒めたたえてもらった。

いまどきは奥村タイプの詩は少ない。
一見、精魂こらし、
技巧も華やかな詩文であふれているようで、
どれもみな、17条憲法。
和を以て尊し、「和」に逆らわない。

小さく小さく縮こまり、
器用に上手に外界をピタリと閉ざして進む。
それぞれにテーマがあるように見えて、
言っていることはただ一つ、
「私は用心しています」、これだけ。

いうほどのことだろうか?
そしてその魂胆は?
ただいやしいのだ。たださもしいのだ。
これでは人は救えない、
それどころか、我が身も守れない。
いざとなればムザムザ殺されてしまう。

なるほど、
17条憲法は大事である、
和を乱しては危険、奥村は殺され、
杉本真維子さんは、若いミソラで、ひどい腰痛とかで、
時々足をひきずって歩いている……
ろくな目にはあわないような気さえする。

だが我がジャパン国は、
この卑しい、さもしい「和」のために
一致団結クラッシュへとつっこみ、
300万人もの死者を出した国である。
「和」こそは危険千万,災いの元なのだ。

奥村真みたいに
命までも差し出そうとは思わないが、
腰痛くらいは、我慢して、
しっかり、「和」を撃退しなければならない……
かく私は思うのである。

奥村真・港.jpg








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2015年06月13日

砂浴3「和を以て尊し?」

これは、私たち日本人、みんなにあてはまるのではないか?
大事なのは人命ではない、正義でも、真実でもない、
「和」
ご存じ聖徳太子、17条憲法。
「和を以て尊しとなす」。

聖徳太子.jpg

良くも悪くも私たち日本人には、これが身についている。
あるいは身につきすぎているのではないか?

今風ににいえば「空気を読む」というか、
「和」の空気が醸し出されるのを、待つのだ。
クラッシュすれば、何より大事な「和」が生まれる。
外国人は驚くだろうが、
大事な「和」のためにクラッシュがいるのだ。

公害病など、公害企業が早期に
それなりの対策をとれば、その元々の根元を断つ事が出来る。
そうそうザクザク死ぬことはない。
そこまでムザムザ命を落とすことはない。

原子力発電所もそうではなかったのか?
文人詩人が、目下の勢いで、原発危険を騒いでいたら、
企業側もそれなりの地震対策でも着手していたのではないか?
ところが、まず誰も、誰一人として、声はあげなかったのだ。

かつてわが家の周辺で続発した公害病の場合、
当初はそれこれ声を上げ、役所にも出向いたりもしたが、
結局は、これで沈黙路線となってしまった。

「なにをやっても無駄です。10人20人死んだ所で、誰が信じてくれますか?
私達のようなのが、もっともっと沢山、100人、200人と死ななきゃだめなんですよ」

真っ暗な声で、こう言った人がいた。
クラッシュするまでは無理……
皆それには二の句はつげなかったのだ。

この公害病、詩人寺山修司の死因もこれ、
女プロレスラー某の死因もこの同じ公害病……と
それこれ情報が囁かれるが、ササヤキだけ。
大声にはならない。
つまりクラッシュするまで、手は打てない。
無駄だから、無駄声はあげない。

ではクラッシュすればいいのか、
それで解決できるのか。
原子力発電放射線被害者はどうなったのか。
生きて返してくれとまでは言えない。
せめて手厚く葬ってもらえたのだろうか?
ま、クラッシュしてしまえばもう墓どころではないのであるが。




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2015年06月12日

砂浴2「日本で道をきいたら」

日本で道をきいたら、驚いた……
外国人がTVで喋っていたのだが、
たとえば、こう答える日本人が多い。

「この道をまっすぐ進んで、突き当たったら左折して……」

突き当たったらが問題。
なぜいちいち突き当たらなくてはいけないのか?
いちいち突き当たってクラッシュしなければならないのか?

なるほどそうである。
私たちは左折にしろ、
右折にしろまずは突き当たってクラッシュ、
それからでないと動かない……
万事につけ、そうではないか?

例えば、3・11東日本原発事故。
それが問題と分かっているはずを、
その時になるまで、
つまりクラッシュするまで、立ち止まりもせず、
スイスイそこまで、歩を進めてしまう。
いざ突き当たって、盛大にクラッシュ、
さんざんの大惨事となって……慟哭、
慟哭の書が巷に溢れかえる事態となってしまった。

当然ながら福島県出身者が多い。
在住者もいる。
大変な慟哭の傑作本が書いているそうだが、
なぜ今頃書くのだろう。
なぜもっと前に書いて、警告しなかったのか?
特に福島県出身者。
かれらが危険を知らないはずがない。

詩人の杉本真維子さんが
「福島は威張るな」と発言して物議をかもしたらしいが、
この辺りを思って共感している人も多いのではないか?

この多勢の福島文人のいくらかでも
その前に騒いでくれれば
ここまで被害は拡大しなかったのではないか。
それなりの防御体制も整えて、
多数の命がた助かったかったのではないか?

よくは知られていない公害病だって、
砂浴など、対応策があるのである。
誰でもが知る放射線被害、
防御の方法だっていくらでもあったはずだ。

けれどけれど、
福島県人はひたすら沈黙、ただ待ったのだ、
クラッシュまで、盛大にクラッシュ……
危険がしっかり明白となり、
原発はやっぱり危険と、
皆の合意が固まるまで、ひたすら待ち続けたのだ。





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