2016年03月31日

醜悪な精神2「リチャード・ドーキンス」

(前記事・醜悪な精神より続き)

とタラタラ続けてきて、ここに来てハタっと思い出したのが、
遺伝学者リチャード・ドーキンス先生。

ご存じ二重螺旋の発見者、
今世紀最大の発見を成し遂げたとされる人だが、
この人にあっては上記のようなタラタラは許されない。
このバカタレと怒鳴られだろう。
刹那だって?一瞬だって?
馬鹿抜かすな、ごまかすな、ってことになるだろう。

事は毎日毎日なのである、
毎日毎日、人たるもの醜悪で一貫しているとおっしゃるのだ。
つまり、あちら様は科学者、
古来より今まで、長々と、かつ、あちらもこちらも広範囲に広々と、
一貫して共通して流れるヒトたる者の定則を
取り出されて醜悪の精神をおっしゃるのだ。

頭のテッペンから足の爪の隅々まで、
細胞の1つ1つも例外なく、かつ話は遺伝子世界だから、
その寿命も億年万年を生きるミトコンドリアのレベル、
億年万年長々と悪の精神一本槍。
強きになびき、弱きをくじき、弱きをいじめ、
弱きを倒し、弱きを食って、弱きを食い散らして……
こうして生き残った悪のエリートというのだ。

ゲンジツはキビシイ。
生き残るにはこれしかなかった……
というとちょい惨めったらしい話にもなるのだけれど、
エリートと言うあたりはポイント、誉められている気もするから、
このあたりで、気をよくしてもいいかもしれないが、
この外にもう1つ、美貌との関連だ。

ドーキンス写真.jpg
ドーキンスの若き日の顔写真。
彼の発見はともかく、彼の論理のほうは当然ながら、
非難ゴウゴウ、あっちにもこっちにも嫌われたためか、
それこれあちこちに反駁文を書きまくり、
目下はパッとしない爺さん顔が出回っているが、
若き日を見るならまさにニュートン以来の美貌ではないか?

「真なるものは簡明だ」

昨今、大発展を遂げた物理学の世界。
学者たちは複雑怪奇な数式をあれやこれや書き連ねたあげくにある日、
奇妙に簡単な短い数式にぶち当たり、ふと漏らすのがこのセリフ。

これにもう1つ、発見者ドーキンスの美貌にあやかって加えてもいいのではないか?

「真なるものは美しきかな」

その正確かつくわしい理由は後回し、後でゆっくり考えるとして、
まずはドーキンスの美しきカンバセを心に留めておいていただきたい。

つまり、神尾和寿詩編、醜悪なる精神の
グラマラス軍団を美女集団と見たのは、1つにはここからだ。
「悪」が基本形。
基本を隠さずモロだしにする、簡明なるは、真。
真なるものは美しい。よって醜悪なる者は美しいのだ。
(これも変?変なるものは美しきかな?)


悪人正機説


イカレた事をいいだすのはその昔からイギリスのお家芸。
ヒト=醜悪なんぞ厄介かつ不快はたとえ真実そう思っていても普通は言わないもの。
英国人となると、それをまた臆面もなく大声上げて、世界に向けて喚き散らす。

ローリング・ストーンズやらセックス・ピストルやら、
悪玉系ロックアーチストの元気な方々を見るに
この奇妙な論理も英国専売特許かと思われるだろうが、これは違う。

その歴史的な古さから見ると、我がジャパン国。
なんと1300年代の鎌倉時代、法然と親鸞の悪人正機説。
この二人が、まずはガンガン喚き出したのだ。

奇妙な論理だから、実は逆説なり……とかややこしい解説をいう人も多いが、
なんせ単純明快、簡単安直をモットーとする法然と親鸞、
これはもう単純に、「悪人は正機」つまり「悪人は正しい」と解釈するしかないだろう。
つまり醜悪なる者は正しいのだ。

法然か親鸞か。
どちらが先にこれを唱えたか?
いままでは親鸞の説と見られていたが、
より古い法然の関連文書が出てきたため、最近は法然の説が有力。
私から見ると、これは資料あるなし関係なしに法然。
親鸞は師の説はちとおかしいとたとえ思っても、
ひたすら正しいと盲信して、師の説を広めんとして、喋っていたかと思われる。

なぜかそう言うのか?
悪人の方が善人よりただしい理由を親鸞はカケラも書いていないからだ。

親鸞は晩年にあっと驚く大冊、教行信証を執筆。
これだけあれば何処かにはあるだろうと
しつこい私は目をサラにして探したが見つからない。

親鸞は書きたくとも書けなかった。
実は親鸞、その理由がわからなかったのではないか?
なぜ善人より、悪人の方が正しいのか、分からなかったのではないか?

かたや法然、
抜群の頭脳とされながら著書はわずか。
そのわずかの中の1冊選択集にスバリ、その理由を書いている。

謂はく外相と内心の不調の意なり。
即ちこれ外は智、内は愚なり。
善とは悪に対するに辞なり。
謂はく外はこれ善、内は即ち悪なり
(前掲『選択本願念仏宗』)


私たちの内心と外面は違う。
同じには動かない。
外見が知恵者のように見える人は、その中身は愚かであったり逆に動く。

善と悪はただ単純に相対する言葉にすぎないもの。
(それぞれに固有の実体を持つものではない。
 元は一つのもの。1つのものがこの相対する2つの性格を同時に持っている)

だから外側に善がでている時は、
内側つまり心の内部にはその逆の悪が出る。
つまり善人と見える人の内部はドロドロの悪で満ちている。
悪人はこの逆。
内部には「善」が詰まっている。
外見はどうあろうと内心は美しき人なのだ。

カッコ内は私(阿賀)の補足、
やや詳しく口語訳を試みたが、ここで、さてどちらのタイプがいいのか?である。
悪モロだしと悪の隠蔽と、どちらの方が正しいか?
法然は前者、悪人を選択するのである。
悪モロだしの悪人の方がいい。
悪人の方が正機である……こう断定したのだ。

以上、
一種、深層心理学である。
目下はフロイト、ユングが席巻。
外部に吐き出された言葉を信じる者はいない。
言葉の世界、モロモロの哲学論理もすっかり意気消沈、ロゴス殿は地に落ちてしまった。

言葉ではなく、その裏を探る。
問題は内部。言葉はその内部を探るヒントでしかない。
これが現代。つまり法然セリフでいうなら、外相ではなく、内心。
内心を注目する。
はるか昔、心理学もない700年も昔の親鸞が解読できなかったのも無理はない。

しかし法然は別、
法然だけは悪人正機の理由を明快に記述、
ついては神尾詩編に登場の醜悪精神モロだしグラマラス女性軍団を
美貌の理由をも鮮やかに明示するのだ。

「醜悪なるものは正しい。正しいものは美しい」

法然の選択集は出版されたのはずっと後になるが、
それまでは高弟にだけ配布、門外不出となっていたもの。
何事もお見通しの法然は出版したらどうなるか、
それをしっかり予見されていたわけで、
出版されるやいなや非難ゴウゴウ、
あちこちから総スカンを食ってしまった。
その一番は明恵。



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2016年03月28日

醜悪な精神

健全な精神というのはよく聞く言葉だが、
醜悪な精神というのはきいたことがない。
空飛ぶキリン社刊『ガーネット』78号の、神尾和寿詩篇の2編は、
そのあまりなじみのない精神を書いて出色。


夜のお店で考えてみる

はち切れそうな肉体に
醜悪な精神が宿っている
そのようなくみあわせのいきものたちに
囲まれて、
さっきから息をだしいれしている私とは
誰なのか
オッパイが弾丸のように躍動しながら
容赦なく迫ってくる
その間に挟まれた頭を
ひねりながら
もう一度よーく考えてみる



状況は簡単ではないらしい。
官能的なようで見えて、イヤ、まて、
頭をひねって考えなきゃいけない、となると
早々いい気分にはなれないものの、けれど
「醜悪な精神」というのはいい。
そして「はちきれそうな肉体」!
もうこれは何よりだ。

グラマラスな女性軍団で、悪知恵満載というなら、
それはもう特上美人に決まってる。
そういう美女軍団に頭を挟まれる……
なんてどういう事情であれ、滅多にない果報者ではないか。

まずは醜悪な精神がポイント
グラマラスでも善良な精神となるとこうはいかない。
その手の女もおおむねは腑抜けで阿呆。
ドロンとしてだらけたのが多い。

普通、詩に登場するのは、こっち、善男善女。
皆して腑抜けでドロンとだらけている。
こういう人間ばかり見てるとこっちまでドロロン、ドロロンしてきて健康上にも良くない。
神尾詩編は詩が生気をキャッチ、
ぱっちり目覚めた瞬間を活写している。
これが見事だ。健康にもいい。
そしてもう1編。


フライパン

みんなに隠してきたぼくの
裸をきみにだけは見てほしい
ぱっと
脱いだ
ポーズを決めたあとで
(後略)


これもビックリ、ハテ何事か?と目が点になる。
フランス映画ではなかったか?
……整備された広々の公園、
口髭紳士がやおらコートを脱ぐと、中は素っ裸、
それを小さな子供達が黙って眺めている……こういうシーンがあったような気がする。
漫画だったかな?

どこにでもあることなのか、
千葉県は市川市、かっての我が家の近所でも類似のことがあり、話題をさらった。
頭は七三に分けて黒縁メガネ、それはそれは真面目な息子さんなのだが、
ある昼下がり近所界隈を次々訪問、
玄関先で、パラリと全裸となられて、「見て、見て」と秘めたる部分を、提示されたのだ。

奥様方はびっくり仰天、
キャアキャアまさにキャアッキャア、
辺り一帯は大騒ぎ、常日頃は眠ったような界隈がやたら活気づいた事があった。

三島由紀夫みたいに日頃ボデイビルで鍛えあげた身体ならいいが、
この詩編の主人公はその肉体を長年秘めてきたそうだから、
おそらくは脂身タップリの真っ白けでブヨブヨのはず、見よいものではあるまい。

プヨプヨおじさん.jpg
(その想像図として上にかかげたのは、私がハンドバッグに隠し持つカード入れの表紙。
 渋谷の雑貨店宇宙百貨で¥350で買ったものだが、このくらいの脂身か?)

美的とはなかなか言いにくいが
長年秘めて来たのだから、何らかの価値があるのだ。
彼一番の宝物だったり?
僕の宝は彼女の宝と、一人思い込んで、おそらは長年の憧れの君、
素敵な彼女に開陳なんて!なんとも健げでイジラシイではないか!

双方とも毎日毎日、それで一貫しているわけではない。
女性軍団だって毎日醜悪ではくたびれる。
全裸志望も同じ、
今日のような暖かな日ならともかく、
酷寒の日なんぞは、思いも寄らぬこと。

だが、ある一瞬の思い、刹那の衝動だからといって、
そうでないものより、価値なしとしてはいけない。
毎日毎日の長々ダラダラ思いより無価値とは、限らない。
それは我が身を活性化させるだけではない、
思いがけないものだってもたらしてくれる。

おなじみ世界の大富豪、ロスチャイルド氏は言う。
「肝腎なのは空中を舞っているもの、
 見えるか見えないかの小さな粒子だ、それを掴まえること。そこに全てがある」
氏のいうことだから話は金儲け。
金儲けの粒子のことか?

そういうものは、そこらに暢気に転がってるものではない、
よくよく注意して、刹那をキャッチしなければならない。
刹那の思いの方が、瞬時の衝動のほうが、より大事というのだ。
作者は古来より商人のまち神戸の詩人、神尾和寿氏。
皆で神尾氏を見習って大富豪を目指そう!(ちょっと変かな?)


リチャード・ドーキンス

とタラタラ続けてきて、ここに来てハタと思い出したのが、
遺伝学者リチャード・ドーキンス先生。

ご存じ二重螺旋の発見者、
今世紀最大の発見を成し遂げたとされる御方だが、
この人にあっては上記のようなタラタラは許されない。
このバカタレと怒鳴られだろう。

刹那だって?一瞬だって?
馬鹿抜かすな、ごまかすな、ってことになるだろう。
事は毎日毎日なのである。
毎日毎日、人たるもの醜悪で一貫しているとおっしゃるのだ。


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2015年12月24日

相沢正一郎詩集『風の木』



風が、五十七ページ目に漆の白い葉裏をまくりあげ、
五十七ページ目にたんぽぽの綿毛を飛ばし、
六十ページ目にこがね虫を振り落とそうとリラの木をゆする。
九十三ページ目の麦畑の上をやさしく吹く風が、そっと
本からぬけだすと、くつを脱いで窓から忍び込む。
……レースのカーテンを泳がせながら部屋から部屋へ、
あなたの名前を呼びながら薄目をあけてあるきまわる。
やがて、風はひとさしゆびをなめてテーブルの上の本をめくる。
……さがしてる――あなたが何ページ目に隠れているのか。

(『風の木』4ページから)


これは相沢正一郎さんの新しい詩集『風の木』から。
『風の木』相沢正一郎.jpg
「――<枕草子>のための30のエスキス」という副題がついている。

なんて素敵な詩集だろう。
清少納言がこんな風に化けるなんて!

あさましきもの。むとくなるもの。
おぼつかなきもの。たとしえなきもの。
めでたきもの。くちおしきもの……

(『風の木』92ページから)


などなど、が、キラキラ輝いて1000年ぶりに蘇ったのですね、相沢さんの庭に。

でも私の庭はとても寒いです。
素敵ではなく。今日は特に冷え込んでいます。
大事な私の芹畑を車が荒らし回って
泥の轍を作り、庭ははドロドロ、怒っているようです。

だから春の庭、相沢さんの庭を思います。
相沢さんの庭では
一足お先にほんわりほっかり小さな春たちが、笑って待っているからです。

草は、ははこぐさ、ほとけのざ、いぬのふぐり、
からすのえんどう、きつねのぼたん、
……かきあつめた草の名のなつかしいにおい、
はっぱで指をきったいたみ、草のうえに
すわってほおばったおにぎり、くちにくわえて
ふいた草ぶえ……うまごやし、ねこじゃらし、
すかんぽ、ふきのとう、たんぽぽ。

(『風の木』66ページから)


小さな柔らかい春の草花のなかで、
これから私も一眠りいたします。



『風の木』相沢正一郎.jpg
『風の木』――<枕草子>のための30のエスキス
相沢正一郎 著
書肆山田 刊 定価:2,400円+税









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2015年12月04日

朗読舞踏『ベンケイガニ』公演

11月29日、埼玉与野市。
山岡遊主宰、詩の虚言朗読会『夢の罠』。
イガイガグループは総勢5名で参加。
舞踏朗読「ベンケイガニ」以下3詩編を公演、喝采を博した。

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とはいえ詩編自体はよく見ると、かなり厄介な内容。
全部で20分もの長編。
ただし詩の制作時間は数分。
初めは意味がよく解らなかったが、踊ることで見えてきたものがある。

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発端は、その昔に見たカニの生態を追ったTVの科学番組。
夜中、家々のどこからかカニが1匹2匹と這いだして、
通りを軍隊のように列をなして移動していく……
みんなで街路を行進して浜辺にワンサカと集まるのだ……

それからどうなったか?
はるか昔の記憶で、内容は覚えていない。
果たして元の家にカニたち戻れたのか。
または、そのまま海の底に突き進んで行ったのか。
その昔、四国は壇ノ浦に沈んだ平家の人たちのようにである。

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栄養栄華、楽しく豊かに暮らしていても、その先はどうなるか解らない。
カニの場合は、潮の満ち引きで動く、つまりはお月様に支配されている……という説がある。
民主主義と平和を掲げて、愉快に楽しく暮らしていてもそれこそは「夢の罠」
ひょっとして、私たちもお月様、または、もっと遠い星の意向で、動かされていたりはしないだろうか?




ベンケイガニ
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セッセと努力、富国強兵となっていった戦前の日本人ないしは、
いっそうの繁栄を求めて原発建設、
世界にも原発輸出して意気盛んな近未来を想定しての背景。
そこへ敵機襲来。
原発にミサイル命中して原発爆発、
国土は火炎地獄となって皆死に絶える……



幽霊蟹
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原発爆発で死に絶えた蟹たちだが漸次幽霊蟹となって動き始める。
もう死んでいるのだから、文句も言わない。
戦勝国に言われるまま、「平和と民主主義」の衣を着せられて、
命ぜられた通りに「平和」と「民主主義」を踊り始める。
どこか空疎な「平和踊り」。
どこか画一的「民主主義踊り」を踊る幽霊蟹たち。



原発ヤクザ
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ベンケイガニ集団が変身した深紅の生命体。
幽霊ガニ集団が変身した漆黒の生命体。
……ともに原発ヤクザとして2匹で踊り始める。
天空を悠々と滑空し、蟹集団の「生」と「死」の双方を称えて舞い踊る。










今回の朗読舞踏、
概要を書き連ねて、ふと、私たちを背後で支配するものを思った。
蟹たちを支配する「月」、
それに呼応して動く何かが蟹たちの体内に埋め混まれているはず……
私たちもなにか、埋め込まれているのではないか?

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口先では、戦争反対を叫ぶが、
かって日清戦争日露戦争と勝ち進み、狂喜乱舞した私たち日本人。
勝利の快感を求めて動いていたりはしないか?
フロイト論文の中では短く目立たないが「快感原則」を思った。

これは元々、ロシア出身の美貌の女性心理学者、
ザピーネ、シュピールラインの書き起こした「死への欲動」。
ここからの盗作とフロイトは非難されたりもするが、
ザピーネの原稿は、本家本元だけに微に入り細に入り詳しく展開している。
たとえばワーグナーの歌劇。
馬上のヒロインが、燃え盛る火の海へと、突進していく、
このくだりを挙げながらダイナミックに解説していく。

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私たちは日夜営々として繁栄を目指す、
あるいは勝利を目指す……だが実はそれは「死」への欲動。
「死」を目指して生きているのではないか?

舞台では、ウジウジョ、ロロジョロと朗読者はいうのだけれど
音楽のほうは、どくどくどくどくと英国ロック特有の
不気味なまでの強力な重低音を休ます鼓動させて進んでいく。
どうあっても決してやすまないのだ。
無限に私たちを突き動かしていく無限衝動をあらわしている。

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まさに命がけで繁栄を目指す安倍政権。
当初安倍氏は「美しい国」と言っていたがこれはなにか?
特攻隊もまた「美しい日本」のために突き進んだのではないか?
美の極点としての散華、ゼロを目指して、知らず知らず「死」を目指して居たりはしないのだろうか?

この大戦犠牲は、日本人犠牲者300万人、ユダヤ人犠牲者600万人だけではない。
他に総計1400万人が国土を失いさまよった果てに、力尽きて、命を落としている。

死を希求しない論理、美しくもない醜悪をも包容する
確固たる論理も必要ではないだろうか。
つまり美しさなどいらない、生きのびる論理が欲しい。








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2015年11月20日

第六回・詩の虚言朗読会『夢の罠』告知

2015朗読会「夢の罠」.jpg

2015年、
第六回・詩の虚言朗読会『夢の罠』
- 悶える 悶える 棺の中の美学よ! -

のお知らせです。

阿賀は、朗読舞踏「ベンケイガニ」「原発ヤクザ」を、
女性舞踏家、川本裕子さんとともに公演いたします。
2015-11 虚言朗読会 朗読舞踏Web宣伝用.jpg
iga編集スタッフも蟹役で出演、
真っ赤な顔のカニ軍団が、ハサミを振りたて踊ります。
どうぞ、ご期待ください。

出演
長谷川龍生
阿賀猥/川本裕子(舞踏家)
石毛拓朗
細田傳造
伊藤信昭
山岡遊

 
 
開催日時
2015年11月29日(日)
午後1:30開場〜2:00開演


会費
2000円(1ドリンク付き)

 
会場
カフェ・ギャラリー・シャイン(Webサイト)
〒330-0071 さいたま市浦和区上木崎1-9-20
Tel 048-833-1045
 
京浜東北線・与野駅(Googleマップ)

ライブ会場としても40年の歴史を持つ、老舗カフェです。
ロータリーのある西口から出ていただき、
駅沿いに左へ進むと、右手にレンガ造りの建物がございます。
「SHINE(シャイン)」の看板が目印です。
徒歩30秒程度の距離です。
 
武蔵野線でお越しの際は「南浦和」から
京浜東北線(浦和・さいたま新都心・大宮方面)にお乗り換えください。


ご来場、心からお待ちしております!
 

連絡先
彩の国夢探偵団・山岡
(携帯)080-5060-2529
(自宅)048-822-2529
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2015年10月20日

鈴木芳子詩集『嘘のように』

この頃は誰かが横に寝に来る
結構大きな寝息だ
昨夜「相棒」を観ていたので
杉下右京かもしれない

なかなかの場面だ。
鈴木芳子詩集、『嘘のように』から。
詩編「晩夏」の冒頭である。

舞台は栃木県矢坂、
不可思議な世界が開かれていく。
以下は作者、鈴木芳子氏に送った私の礼状。

『嘘のように』拝見、ありがとうございます。
嘘のように、おもしろかったです。

杉下右京さんとお休みになってるなんて、羨ましいです。
私の母は、一貫して洋画ファン。
元旦の正夢で、ウイリアム・ホールデンとか、
ケーリー・グランドとか
アラン・ドロンと泳いでる夢を見たとか、自慢たらたらでした。
毎年違うのが、移り気な母らしくて、なんとなしガクっときてました。

皆様で秋の陽を浴びて、
嘘のように穏やかに、しずもうとされている……
なにかウットリしてしまいました。

私の夫は41才でガン末期を宣告され、
なんとか業苦の中を生き続け、53才で、亡くなりました。

「心配するな、俺は大丈夫だ、
 これでいいんだ。
 これで満足なんだ、看病ありがとう。」

最期にきて、笑い続け、大笑いのうちに亡くなりました。
鈴木ワールドの嘘のように静かなそして豊かな世界を知ることなく……
やはりかわいそうでなりません。

ちょっと似たタイトルの朗読会の案内も入れます。
なんでしたら、ここで朗読、飛び入りでされませんか?

2015朗読会「夢の罠」.jpg

10月19日


以上が私の手紙の全文。
以下は鈴木芳子詩集の最後に置かれた詩編「遭遇」

「遭遇」鈴木芳子.png

見事な詩編だ。
何も言うすべがないい。
なぜか、絶句、涙にくれてしまった。



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2015年09月13日

セントバーナード

イガイガボン夏期は、標高1200m高原地帯に移転して制作する。
犬猫全員同伴。
近くに軽井沢オモチャ王国とホテル群。

犬たちはホテルの庭をめぐる小川で水浴、
ご機嫌だが、早々散歩に連れ出すわけには行かない。

休暇ではない。
ここは仕事をするために来た。
庭に金網を張り巡らして犬たちは放し飼い、
散歩の手間を省いているが、
この犬用の塀の門が、何回か開けっ放しの時があった。

1匹は大型犬セントバーナード。
体重70キロを越す。
そこらを歩いたら怖がるひとも少なくない、必ず施錠して寝る。
ただし、犬用の施錠、人間は簡単に開けられる。

ところが2、3回、開けっ放しのことがあった。
その後、犬は体調不全。
獣医と相談中にそれを思い出した。
門が開いていたことがある。
原因はこれではないか?
誰かが故意に開けはなち、毒物を?

だが、医師も、漫画家戸沢タマさんもこれは否定的。
「毒物混入では証拠が残る。
犬の事故死は器物損壊罪が適用、
警察が乗りだす、犯人はそういう厄介はしない、
病原菌、寄生虫の卵とか、べったり満載の食物を食べたのではないか?」


犬種はセントバーナード、性格は穏和かつ聡明、
だがやたら腹を空かせる大食が欠陥。
ところが、どういうわけか、門が開け放たれていた朝に限って、
朝食をせがまない。
この犬種にはあり得ないことだ。

ああ、早く朝ご飯、早く早く、
私は死にそうです……という必死の形相で迫ってくる。
ところが、門が開いていた日は違う、
呼ばないと出てこない、のろのろときて大欠伸……
戸沢説が正しいか?

やややや、DZ、つまりドラゴンZに関わりあったばかりに
作者の私にも、魔の手が……!!
まさに松尾芭蕉の虚実皮膜論。
これを一歩進んで、物語が現実を踏襲し始めた……?

『ヤクザみたいに綺麗ね』、
「やくざ」という言葉に拒否反応のひとも多かった。
私はその被害に遭ったことがないせいか、
取り立てての悪い思いはない。
どちらかというと「綺麗な人」との印象が強い。
幼き日を共に過ごしたチビヤクザ?
君の思いでのせいだろうか?

彼の話は、いずれ書きたい。

チビヤクザ「コウモリの安」、私達は家族だった。
父は息子以上に彼を愛していた。
彼を取り戻そうと悪戦苦闘した。
亡き父の思いを伝えたい。


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2015年09月08日

ドラゴンZ・DZ

発売中の『ヤクザみたいに綺麗ね』には沢山のお手紙をいただいた。

「こんなにも強烈な匂いを放つラブソングがかつてあっただろうか。」
これは、平居謙さんの感想。

ハッピーエンドに終わる、かなり強烈なラブロマンスだが
どこかしら危険の香り……スリラー小説でもある。

主人公はDZ(ディーズィー)、通称ドラゴンZ。
TVキー局に勤務、マスコミ最前線を突っ走るキャリアだからだ。
何はなくともこういう仕事はどこか危険がついて回る。

DZも同じ、終始何者かが追跡、
DZは隣家の藪に隠れて、あるいは全室消灯して、鍵穴から追跡者に見入る。
大規模、周到な追跡、簡単ではない。
背後に巨大な犯罪が隠されているのではないか?
大量の犠牲者、非業の死者、すざまじい卑劣、
それらいまわしいものが、隠されているのではないか?
命を惜しんでいる暇はない、大きなネタになる可能性があるのだ。

DZはなにを知っているのか?
DZはどこでなにを見たのか……?
すべて思い出すことができない、
自身のかこを辿ろうと、ある時はアメリカ、
ある時はチュニジアに飛ぶ……

一部は私の体験が混じる。
私のかっての勤務先はTV局。
所属は編成部。
制作部門と違って、同時に複数のドラマ、ショー番組、
報道番組を担当、広域を視野に入れて、手を打って行く。

自然に行動範囲も広域に広がり、簡単には過去を辿れない、
過去はたちどころに忘れる、忘れて動き回る。
過去を思い出せないのだ。

勤務当時、いくつか、不可解な事件に遭遇、
周辺で命を落とした者もいる。

取材当日、現れないので不審に思って自宅を訪問したら当人は変死……
これは他社の映画監督の失態。
そこまでして知る必要があったのだろうか?
犠牲者は出すべきではない。

敵は外国諜報機関。
妻子と別居、2週間ごとにホテルを変えて転々の人もいた。
辛くも生き延びて栄達?を極めたり……
ほとんどが知らぬ間に巻き込まれてしまったもの。
TVは娯楽提供が使命。
犯罪摘発は範囲外、
安全地帯を歩いてるはず……という油断が災厄を招いた。

目下の私は娯楽本を制作、
楽しければいい、という油断が災厄を招く?とも限らない。



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2015年08月27日

パスカル「人間は考える葦である」

本当だろうか?人間が考えるか?
ただただ「仲良きこと」が好きなだけではないか?
人はただただ、隣の人を真似て、揺れているだけではないか?

特に葦をみるとそう思う。
風に煽られて左に右に整然とうっとりと揺れているのを見るとそう思ってしまう。

風にくねる葦原、葦は1本では生えない。
河原を湿地を、何千、何万と群になって、群生する。
群生して同じように動く、全く同じ形で揺れる。
人もまた葦のように揺れているだけ、考えないのではないだろうか?
芦原をみるとそう思ってしまう。

パスカルは1本の葦という。
で、その中から1本、引き抜いてみる……
いやまず不可能だ。
引き抜けないのだ。

いかにも弱そうな植物のイメージだが、葦は逆。
根が深い。
背丈2mなら根もまた2mかそれ以上はある、
それも垂直に下に延びているので、ガンとして引き抜けない。
だから強い、だから風に揺れることができる。

だがこんなにたくさんなのだから、
中にはガンとしてゆれない1本があるかもしれない。
いちいち逆向きに揺れる葦もあるかもしれない。

他よりはちと幅広で、かなりのろまで、揺れることができなかったり、
あるいはただ勝手放題の我が儘で……
ひねくれくねって揺れていたり……?

芦原のどこかに揺れることが嫌いな奥村真が、
バクーニンが、また和服姿の世之介が、
ムカっとした顔を細長〜〜〜い穂の先にチョコンとつけて、
揺れずにガンと立っているような気がして、ふっと芦原に見入ってしまった。
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2015年08月23日

横尾忠則 Tadanori Yokoo "Swimming Girls"

画家・横尾忠則氏による個展 "Swimming Girls" のお知らせです。

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[会期] 2015年8月26日(水)− 2015年9月19日(土)
[会場] 南天子画廊 nantenshi gallery

開館時間:10:30−18:30
休館日 :日曜日
オープニング:2015年8月26日(水) 17:00-19:00

南天子画廊 nantenshi gallery
〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-5 TEL:03-3563-3511

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また、
「藍と茜 インドネシアのイカットと更紗展」のお知らせです。

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会期: 8月15日(土)─ 27日(木)(12AM-7PM)
場所:新宿御苑前 ギャラリー・フラド



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