2016年08月24日

嵯峨信之と嘘と谷崎潤一郎3

さて、問題は嵯峨詩篇のひたすら誠実、
しずやかなる温順である、
どこでこの「悪」、つまりは「平和の悪」に繋がるのか。
どこで反軍部、無頼の日々につながるのか?

嵯峨氏と新宿、横断歩道を渡っている、
ちょうど中程で、その話になった。

「まあ、3回も奥さんをとっ替えるなんて放蕩、
 私の親戚には一人もおりませんよ。
 私のような真面目一方の人間を前に、
 よくもまあヌケヌケと大きな顔をさらせますね」

と言ったのに反発、真っ赤になって
なにやら叫ばれ唸り出されて、
場所が場所だけに車の行列、
とんでもないことになってしまった。

離婚はそうそう簡単には行かないはずだ。
「ああそうですか、ではあなた出て行きますか。
 引っ越しはヤマト便にしますか、それともアリさんマーク?」
とかこう手早くは進まない。

「このやろう。バカやろう」
「何を、このスケベジジイ」と皿投げたり、
茶碗、割ったり……の一悶着二悶着があったはず。
なぜ、嵯峨詩編にはそれが登場しないのか?


『詩と思想』の討論で
東映社長岡田裕介を招いて、
嵯峨氏と中本道代氏など女性詩人とで、
映画のあれこれを喋り合ったことがある。
一心不乱、ガンガンに喋りまくったのは嵯峨氏。

嵯峨氏の話はマーロン・ブランドの背徳映画、
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」、それ一本。
よほど気に入られたのだろう。こればっか。

若い娘と年寄り男の性愛専科。
二人しか出てこない。
一切悩まず、ひたすら背徳専科、性愛オンリー。
他はゼロ。ベルトリッチ監督の異色作品だ。

一切悩まず……というあたりは、まさに谷崎流。
そうか、久方ぶりに谷崎兄貴に再会されたんだな
と思ったのだが、結局はこれで盛り上がって、
討論は背徳一色、楽しくにぎやかに終了した。

ところが、である。
いよいよ編集完了、
雑誌出来上がりで、開けてみて驚いた。
すっかり背徳が抜けていたのだ。

「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の
「ラ」の字一つ出て来ないのだ。
討論掲載というのいったん逐一抜かさず記録したものを、
発言者がそれぞれに点検補正するのだが、
嵯峨信之氏、自身の発言から背徳関連の
一切を抜いてしまったのだ。

つまり発言のあらかた抜いてしまったのだ。
となると、会話の相手の方の発言も、
全部カット抹殺されてしまう。
誠に迷惑な話なのだ。

かくて皆してお手て洗って行儀良く……となったわけだが、
小学生ならともかく、
妙齢の大人がこれをやって見良いものではない。
バカバカしいまでの腑抜け紙面に驚いてしまった。
まことに人格者とは困ったもの、と
つくづく思い知った一幕であった。





posted by あがわい at 22:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする