2016年08月24日

嵯峨信之と嘘と谷崎潤一郎2

95歳、死の直前まで詩人としても
また詩集出版社「詩学」の
経営者としても辣腕を揮った方、
様々な逸話が沢山の方々に語られているが、
今回は誰にも語られていない、
自身も決して漏らされることのなかった
氏の女性遍歴の1コマを、書いておきたい。

というのも
あまりにたびたびその話をされたからだ。
書き残して欲しいということでもあったのではないか?
放校処分を受けて氏は上京され、
芝の高輪高等学校に転入されたが、ここも中退。
21歳で当時は発足間もない文藝春秋社に入社、
菊池寛に従って若手作家の育成に驀進された。

「これからは宣伝の時代だ。
 ガンガン写真をとって
 まずお前たちを有名にしたい」
 
菊池寛が、ある日、集まった新進作家たちの前に、
カメラマンを引き連れてきて、こうのたまうと、
芥川竜之介が興奮、突然下駄のままで
近くの松の木に、駆け上って
「さあ、撮れ、今、俺をとれ!」と叫んだ………。

菊池寛と打って一丸となって進んだ
当時の勇ましい文人たちの話も面白いが、
なんといっても傑作は嵯峨氏の兄貴分、谷崎潤一郎。
谷崎とのなんとも不可解、
奇妙かつ驚くべき背徳話も披露しておきたい。


時は大東亜戦争ただ一色。
皆マジメに銃後の守りに専心していた頃の話。
谷崎とその一派は、マジメになるどころか、
夜の町に繰り出し、まさに無頼の集団として、
フマジメに精出していたのはつとに名高いが、
その仲間の一人が嵯峨信之氏。
夜な夜なのある一夜、彼に潤一郎が頼み込んだ。

「もう何日も家に帰っていない。
 今日も帰れない、かわりに君、
 俺の家に行ってきてくれないか?
 当人には前々から言ってあるので、大丈夫だ」

深夜、嵯峨信之、
何はともあれ、谷崎家にはいると
お膳に夕飯も置いて、箸まで添えてある。

ひとます食事を終えて、さてどこに寝るのか?
と隣室を開けると、蚊帳が一つ吊ってあって、
さあ、寝て下さいとばかりに、布団も敷いてある。

で、これ幸いに寝入った……となりそうだが、
そうは簡単ではなかった。

蚊帳の中には、もう一組の布団があり、
夫人が眠っておられたのだ。
「これはいったいどういうことなのか?」
おまえの嫁にどうか、とうことなのか、
蚊帳の前で座り込んでしまった……。


それからどうなった?と
聞いて欲しいのかとも思ったが、
そうはさせじと何故か、私は知らんぷり。
その続きは知らないのだが、
道徳無視、良識常識は足下に蹴落とす
傲岸不遜の文人谷崎潤一郎の真骨頂、ここにあり、
と私は谷崎の方にいたく感心した。

目下は、世をあげて平和主義、
再軍備反対、軍人真っ平であるが、
なんだかんだとはいえ軍人は我が命を捨てても
国を守る正義の固まりである。
それを義務づけられている。
人に好かれないはずがない。

2・26事件にしろ、映画となると、
軍人側つまり若手将校たちは皆りりしく美形。
まさに善玉のカタマリとして描かれる。
逆に殺される側は年寄り。
それもいかにもパッとしない、
ちと悪っぽい俳優が登場する。
どう見ても悪玉である。

当時の平和主義、つまり谷崎、嵯峨らの反軍メンバー、
自由主義者たちはもこうだったのではないか?

軍人の逆。
ガリガリの強欲、反道徳、乱脈の性、家族崩壊……
悪しきことのモロモロとされていたのではなかったか?

平和は難しい。
じきにこうなってしまうが、おそらくは当時も同じ。
平和の言葉は良さげだが、中身はナカナカである。
突き進むと腐敗へと悪へと繋がってしまう。




posted by あがわい at 22:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする