見つからない。ありきたりの室内風景かと思われるが、
メガネの男はフランス作家ジュール・ヴェルヌの小説から。
小説の挿絵をそのまま使用しているという。
ジュール・ヴェルヌといえばSF小説の開祖。
『地底探検』『月世界旅行』『海底二万里』『浮かぶ都市』『八十日間世界一周』と
名作傑作の数々を紡ぎ出した作家。SF小説だから、その大半は異次元が舞台だ。
結局ジュール・ヴェルヌを登場させる以上、
デルヴォーもまた異次元を描いたと言っているわけで、
自身の絵画の構造を明示した作品かと思われる。
普通はデルヴォーは女ばかり、
つまり異次元だけを描くが、これはたまさかの男性も参加、
異次元と合わせて現実をも同一画面に入れこんでいる。
この点で先の詩篇、瀬崎詩篇や中本詩篇によく似ている。
特に中本詩篇「鳥」。
「鳥」を流れる鏡のように揺れる川、
これがデルヴォー絵画を左右に縦断する黒々とした壁にあたるわけで、
この壁もおそらくは、ずっと上まで、川と同じく
「測りがたいほどの」高さまで続いているのだろう。
この壁が室内の男性側では鏡になっているのも、「鳥」を流れる鏡の川に通じていく。
これら川また壁が、私たちの世界と異次元とを分ける境界になる。
大きな鏡の壁、恐ろしい深さの鏡のような川、これを誰か越えることができるのか?
いったい誰が壁の向こうを見ることができるのか?
けれど、現実はこのようになっている、とプレヴォーは描くのである。
こういう構造の中を私たちは生きていると中本詩篇は見ているのである。
その5 リザ・ランドール。
異次元といえば、目下はアメリカ物理学者のリザ・ランドール。
「わたしたちの暮らす3次元世界は、
人間の目には見えない5次元世界に組み込まれている」と
一九九九年に発表、一躍世界の注目を集めた。
私たちは、その3次元の膜にぴったりと貼りついていて、
そこを飛び出して5次元世界に入って行く方法はないのです
(リザ・ランドール、若田光一『異次元は存在する』、NHK出版)
リザは私たちの宇宙についてこう言っている。
これでは一挙に巨大空間が広がってしまう。
大きな大きな幕またはカーテン、それにこびりついた宇宙、
太陽や月や星なんて、思いも及ばない光景になってしまう。
私たちの大地、つまりは地球も空の星も共々に広大無辺の見知らぬ天体へと放り出され、
あてどなく浮遊し始めてしまう。
目にも見えない世界、入って行く方法もない世界というなら、
では私たちが夜空に見る、あの無限なまでの銀河の世界は何なのか?
宇宙飛行士が飛び出していく、星の世界は何なのか、である。
このあたりは竹内薫が紹介するジョージ・エリスの説が、奇妙だけれど案外納得するものがある。
エリスは「我々は宇宙の中の動物園にいるようなもの」、というのである。
どこまで行ってもわれわれはこの宇宙から出ることは叶わず、
周りを囲む鏡に己の姿を垣間見て「あそこにも違う銀河がある、
違う宇宙がある」と騒いでいるだけ
(竹内薫『夜の物理学』イオンデックス・コミュニケーションズ)
エリスはこの宇宙は誰かが作った「動物園」だと言う。
エリスを紹介する竹内薫もまた「人類は、鏡に囲まれた仮想世界の夢を、
この宇宙という揺りかごの中でむさぼっているのに過ぎないのかも知れない」との疑惑を漏らしている。
ここでまた先のデルヴォー絵画「夜の通り」を見たい。
メガネの男が、手にして覗きこんでいるのは何か?
ひょっとして、これは私たちの宇宙の圧縮模型ではないか?
部屋には窓はない。通りに面した壁には鏡が貼り付けられて、
通りを見ることができない。おそらくその壁は縦に横に無限に広がり、
その壁からは、右側の世界へは、行くことはおろか、見ることさえできないだろう。
それで一生懸命その圧縮模型を覗きこんでいるのではないか?
男はこの模型を通して、その模型の中の小さな穴から、異次元世界、
この不可思議な女たちの世界を垣間見ているのではないか?
目にも見えない世界、入って行く方法もない世界と物理学者は言う。
しかし物理学者、数学者はそう言いながら、
せっせと侵入を試み、あれこれとその世界を書く…。
先のリザ・ランドールが幼き日に愛読したという『不思議な国のアリス』も
作者は数学者、英国のルイス・キャロルが書いている。
突然小さくなってウサギの穴に落っこちて異次元世界で暮らし始める少女アリス、
おなじみの物語だ。
定常宇宙論の提唱者の一人、フレッド・ホイルもそう。
時間テーマの傑作『十月一日では遅すぎる』や『アンドロメダのA』など、
遠慮会釈なくズカズカと突進して、その異次元世界で縦横に暴れ回っている。
これらは学者たちの宇宙より、もう少し私たちの日常に密着、
個人の内部に広がる異次元を、日常の一つの現実として正確に辿ったのが、
瀬崎中本の両詩篇であり、またデルヴォー絵画だろう。
つまり異次元は、ロケットででかけるものではなく、常に私たちの内部にひそみ、
内部の奥で深々とその不可思議な世界を開示しているのではないか?
瀬崎、中本、詩人たちは窓の外ではなく、デルヴォーのメガネの男のように、
内部を覗きこむ。おそらくは内部にひそむ小さな穴から、その外側、
すべてを包含するある異次元を垣間見ているのではないか?
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