2008年11月20日

11.21「鳥」

鳥     中本道代

オリーブの樹――。
その公園にはオリーブの樹が数本群がって立っている区域があった。
樹は大きく育ち拡がって、黝い実をたわわにつけていた。
わたしと女友達は実を少しばかりもぎとった。
この公園を抜けると新しくできた美術館がある。
美術館では作品が生活と切り離されてしんと静まり、わたしたちを待っている。
途中には運河があり、黒い細長い鏡のように揺れる世界を示唆していた。
鏡はどこまで深いのだろうか。
それは河の底には関係がなく、
天と同じく測りがたいものであり、それを覗きこみながら行くのだった。
だがわたしたちは、オリーブの林の中で道草をした。
気がつくとわたしたちは二羽の鳥になっていた。
オレンジ色と緑色の、あるいは濃い青の混じった、よく囀る鳥。
脳髄はとても小さく縮んで、わたしたちにぴったりの大きさだった。
わたしたちはうるさいまでに囀り、飛び回ったが、だれに咎められることもなかった。
遠くの方に、おごそかに、静謐に、美術館の屋根が聳え、
その上では大都市の空が水色にけむっていた。
美術館の作品たちは今はもうだれに観られることもなく、
永遠の貌に向って時間を止めていた。




作者の中本道代さんは謎の詩人と言われる。
今までまともに彼女の詩が解説されたのを見たことがない。普通には分からない。
一般人(?)と彼女の間には越え難い溝があるせいだ。
溝は深く、その深さは天と同じくらい測りがたい距離がある。
中本詩篇「鳥2」を縦断するこの運河がその溝である。
この詩の中の女性二人は、その深い深い溝を覗きこみながら、楽々とその溝を超えていく。
が一般人はそういうわけにはいかない。
超えるどころか、その溝を覗きこむことさえできない。
そこにそういう溝があることさえ、感知できないのだ。
溝のことも溝の向う側のことも、知らないままに生き、そして死んで行く。

私の場合はどうなのか。
あの不意に降りてきた海岸風景、
波に洗われている小さな子供たちの靴の風景は、そこから来たのではないか?
そこに私の知らないもう一人の私がいて、別の暮らしをしているのではないか?
ひょっとして、日差しを浴びて、快活で笑いさんざめいて、
何も知らず・・・すべて知らずに・・・

私の場合、向こう側を感知するというより、こちら側に確信が持てない。
自分がはたして、ここ地球にきちんと生きてあるのか、それが分からなくなるときがある。
「あっ、ひょっとして私、もう死んでるのかもしれませんわ、
でも構いませんわね、どっちだって、対して変わりゃしませんしね」
等の中でモゴモゴ言いながら、誰それと話し込んだりしている。
「あなた何,言ってるの?  しっかりして! 大丈夫なの?」
「かまやしないと言ってるのよ。生きてるときもかなりいい加減でしたからね、
死んでからは、いよいよ、いい加減になってしまって・・・・」
生きてるんだと徐々にわかってくるのだけど、やはり、いい加減なことを喋っている。

中本さんは私とは違う、決然とさっとばかりに、次元を分けて認識する。
ここと、あちらとの堺をきちんと運河まで作って明示する
画家ポール・デルヴォーの場合はどうなんだろう。

11-21.JPG

タイトルは「夜の通り」、福岡市美術館が所蔵するが、
いったいぜんたいこんな通りがあるだろうか?
いったいぜんたいこんな帽子があるだろうか?
複雑で豪華で・・・
この二人が、信じられないまでの頭脳の人であることを言っているのだろうか。
二人の叡智は溢れに溢れついに、脳の外側にまで、飛び出し、町をそぞろ歩いたり・・・・
ということなのか。




posted by アガワイ at 20:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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