2016年05月20日

『谷絵 -谷敏行遺稿画集-』刊行。

お待たせしました。
『谷絵 -谷敏行遺稿画集-』刊行いたしました。


2011年準備開始、5年を経て完成。
書店ほか、アマゾン他、ネット書店で販売中です。
ぜひ、ご購入いただければ幸いです。

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この5年間は、まさに谷底を這い歩く毎日。
歩いても歩いても行き着くことが出来なかった。

問題は彼の絵もさることながら、
彼自身を把握出来ずにいた。

単純な男、簡単な画集になると踏んで出発。
しかし何度制作しても
谷敏行を掴めた実感が得られず中断、
途方に暮れていた。

単純に見えれば見えるほど、
内実は奥へ奥へ隠され、
見ることが出来なかった。

谷絵_複雑顔.jpg

これは画集未収録の谷絵。
モデルは誰かわからないが、
茫洋として掴みにくいところ、
おそらくこの辺りが谷敏行の実態ではないか?

次はごくごく単純顔。
実際の谷敏行はこれより丸顔、
ぽっちゃり顔だけれど、
日頃の表向きはこのタイプ。

叩いてもホコリも何も出てこないような
単純ペラペラ男という気がしていた。

谷絵_半分顔.jpg

ところがところが……
作曲も超奇天烈を絵画作成と同じく、
超スピーディ、長編舞台劇の背景音楽も
渋谷駅構内の小さなレストランでチョコチョコっとで完成。
何の支障もなく演奏可能で、
私も万事苦労なしの月日を過ごすことができた。

特に舞台俳優。
舞踏家 十亀脩之介と組んでの
「変形蟷螂型恋愛天虫色模様」
若旦那役はまさにハマり役で名演。

本人も何よりこれがご機嫌。
いよいよもうダメかとなると、
「しっかり治って、また若旦那役やるんだ」と耳元で叫ぶと、
急にしゃんとなって嬉しそうに頷いていた。

享年43歳、何とも残念な若死にである。
多芸多才、スサマジイまでの才能を
満載したままに死出の旅路についてしまった。

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彼を支えた、だめ連の皆さま。
自殺防止に彼の家の戸口を
たたき続けた職場の皆さま、ありがとうございました。

なんとか生の旅を終えることができました。




posted by あがわい at 21:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月10日

醜悪な精神4「アドルフ、涙の主張」

SO WHAT 「アドルフの受難」.jpg

これは谷敏行の描くヒトラー像
「アドルフ、涙の主張」。
当社新刊、「谷絵」のなかのコラージュ作品。

ひたすら正義をこの世にあまねく
広めたいと必死のヒトラー像だが、
それというのも明恵様と同じ、
ただただ我が身は正義のカタマリ、
至純の人と信じこんでるいるゆえだろう。

そう信じたいならそれはそれでしょうがないとして、
その御姿となると、このあたりがピタリではないだろうか。

正義のひとの職務は悪漢退治。
バッタバッタと恐ろしい力で
悪漢を撃破しなければならないのだから、
たとえ自身では自覚しない場合でも
正義の方々はその裏側には
しっかりドカンとすざまじい攻撃力を
貯蔵しておられるはずで、
それ故の正義の主張のはず。

あまりに強力が過ぎて、
ついには辟易、逃げだす人々……と
正義感ヒトラーの凋落まで「谷絵」は書き込んでいるのだけれど、
ここまで来ると正義漢の真逆、
「悪人」も、案外な面もあるのではないか。

むしろ真逆の「悪」の方が、よかったり……なぞ、
フラチな思いが、ついフラフラと浮上したり……かくていよいよ、
法然の奇怪な論理、「悪人正機説」がお出ましとなるのである。




◆一言芳談

妄念をおこさずして往生せんと思わん人は
生まれつきの目鼻を取り捨てて
念仏申さんと思うがごとし
       (一言芳談)


法然の発言である。
強欲だの色欲だのの悪心、妄念を捨てて、
極楽往生を目指すというのは、
生まれつき持ってる自分の目や鼻カットして、
仕事に励むようなもの。
肝心なものがないからあまり効果はないんじゃないか?

こうつぶやかれたのだ。
奇怪といえば奇怪だけれど、
まことに鮮やか、見事なつぶやきではないか?

目や鼻は自分の中心部分。
妄念を法然は、そういうものとして
位置づけていたのである。

悪心邪心色欲強欲などなどの妄念、
これらは、人たる者の中心、
だから捨てることなどできない。
捨てた、というなら嘘である、
嘘からなにを生みだそうというのか?
こう疑惑されたのである。

今から700年前の東洋日本国に、
現代英国人リチャード・ドーキンスがタイム・ワープか?
恐るべき頭脳を想わざるを得ない。

千年万年、私たちは妄念を抱えて、
妄念のおかげで、生きてきた。
敵を攻略し、食い散らし……
かくして妄念遺伝子は脈々と生き続け……
これが生物の生き様である、
千年来、万年来の生き様を今更変えられない。
…………和洋折衷するとこうなる。

法然には著作は少ないが、
こいう発言の記録が沢山残されている。
おおむねかなり過激で面白い。

当時は仏僧は仏典の棒読みだけ。
その意味を噛み砕いて
解るように喋る僧はいなかったから、
よほど珍しかったのではないか?

人々は法然に集い、
その一言一句を書き付けては、
争ってその語録を読んでいたようで、
都大路を荷車引いてるばあさんが、
法然の言葉を書いた書き付けた紙切れを
道に落として右往左往探している記事も残っている。

問題は「正義のひと」である。

法然流でいうなら、
中心部分をすっぽり欠落させた人、
異様な欠陥人間ということになる。

無論、そんなおかしな人はいるはずがない、
お腹の中に、隠しているだけなのだ。
だが当人は気づかない。

なぜなら目がない、鼻がない、
……感知する器管をそぎ落として
しまっているから解らないのだ。

嘘つきではない、
明恵は、またヒトラーはわからなかったのだ。

一言芳談が、「生まれつきの目鼻」とした明察に
まずは、息を飲んでしまった。
感覚器官、
これを取り出したことにつくづくと感服してしまった。
(続く)




posted by あがわい at 22:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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