2015年12月24日

相沢正一郎詩集『風の木』



風が、五十七ページ目に漆の白い葉裏をまくりあげ、
五十七ページ目にたんぽぽの綿毛を飛ばし、
六十ページ目にこがね虫を振り落とそうとリラの木をゆする。
九十三ページ目の麦畑の上をやさしく吹く風が、そっと
本からぬけだすと、くつを脱いで窓から忍び込む。
……レースのカーテンを泳がせながら部屋から部屋へ、
あなたの名前を呼びながら薄目をあけてあるきまわる。
やがて、風はひとさしゆびをなめてテーブルの上の本をめくる。
……さがしてる――あなたが何ページ目に隠れているのか。

(『風の木』4ページから)


これは相沢正一郎さんの新しい詩集『風の木』から。
『風の木』相沢正一郎.jpg
「――<枕草子>のための30のエスキス」という副題がついている。

なんて素敵な詩集だろう。
清少納言がこんな風に化けるなんて!

あさましきもの。むとくなるもの。
おぼつかなきもの。たとしえなきもの。
めでたきもの。くちおしきもの……

(『風の木』92ページから)


などなど、が、キラキラ輝いて1000年ぶりに蘇ったのですね、相沢さんの庭に。

でも私の庭はとても寒いです。
素敵ではなく。今日は特に冷え込んでいます。
大事な私の芹畑を車が荒らし回って
泥の轍を作り、庭ははドロドロ、怒っているようです。

だから春の庭、相沢さんの庭を思います。
相沢さんの庭では
一足お先にほんわりほっかり小さな春たちが、笑って待っているからです。

草は、ははこぐさ、ほとけのざ、いぬのふぐり、
からすのえんどう、きつねのぼたん、
……かきあつめた草の名のなつかしいにおい、
はっぱで指をきったいたみ、草のうえに
すわってほおばったおにぎり、くちにくわえて
ふいた草ぶえ……うまごやし、ねこじゃらし、
すかんぽ、ふきのとう、たんぽぽ。

(『風の木』66ページから)


小さな柔らかい春の草花のなかで、
これから私も一眠りいたします。



『風の木』相沢正一郎.jpg
『風の木』――<枕草子>のための30のエスキス
相沢正一郎 著
書肆山田 刊 定価:2,400円+税









posted by あがわい at 22:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

朗読舞踏『ベンケイガニ』公演

11月29日、埼玉与野市。
山岡遊主宰、詩の虚言朗読会『夢の罠』。
イガイガグループは総勢5名で参加。
舞踏朗読「ベンケイガニ」以下3詩編を公演、喝采を博した。

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とはいえ詩編自体はよく見ると、かなり厄介な内容。
全部で20分もの長編。
ただし詩の制作時間は数分。
初めは意味がよく解らなかったが、踊ることで見えてきたものがある。

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発端は、その昔に見たカニの生態を追ったTVの科学番組。
夜中、家々のどこからかカニが1匹2匹と這いだして、
通りを軍隊のように列をなして移動していく……
みんなで街路を行進して浜辺にワンサカと集まるのだ……

それからどうなったか?
はるか昔の記憶で、内容は覚えていない。
果たして元の家にカニたち戻れたのか。
または、そのまま海の底に突き進んで行ったのか。
その昔、四国は壇ノ浦に沈んだ平家の人たちのようにである。

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栄養栄華、楽しく豊かに暮らしていても、その先はどうなるか解らない。
カニの場合は、潮の満ち引きで動く、つまりはお月様に支配されている……という説がある。
民主主義と平和を掲げて、愉快に楽しく暮らしていてもそれこそは「夢の罠」
ひょっとして、私たちもお月様、または、もっと遠い星の意向で、動かされていたりはしないだろうか?




ベンケイガニ
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セッセと努力、富国強兵となっていった戦前の日本人ないしは、
いっそうの繁栄を求めて原発建設、
世界にも原発輸出して意気盛んな近未来を想定しての背景。
そこへ敵機襲来。
原発にミサイル命中して原発爆発、
国土は火炎地獄となって皆死に絶える……



幽霊蟹
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原発爆発で死に絶えた蟹たちだが漸次幽霊蟹となって動き始める。
もう死んでいるのだから、文句も言わない。
戦勝国に言われるまま、「平和と民主主義」の衣を着せられて、
命ぜられた通りに「平和」と「民主主義」を踊り始める。
どこか空疎な「平和踊り」。
どこか画一的「民主主義踊り」を踊る幽霊蟹たち。



原発ヤクザ
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ベンケイガニ集団が変身した深紅の生命体。
幽霊ガニ集団が変身した漆黒の生命体。
……ともに原発ヤクザとして2匹で踊り始める。
天空を悠々と滑空し、蟹集団の「生」と「死」の双方を称えて舞い踊る。










今回の朗読舞踏、
概要を書き連ねて、ふと、私たちを背後で支配するものを思った。
蟹たちを支配する「月」、
それに呼応して動く何かが蟹たちの体内に埋め混まれているはず……
私たちもなにか、埋め込まれているのではないか?

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口先では、戦争反対を叫ぶが、
かって日清戦争日露戦争と勝ち進み、狂喜乱舞した私たち日本人。
勝利の快感を求めて動いていたりはしないか?
フロイト論文の中では短く目立たないが「快感原則」を思った。

これは元々、ロシア出身の美貌の女性心理学者、
ザピーネ、シュピールラインの書き起こした「死への欲動」。
ここからの盗作とフロイトは非難されたりもするが、
ザピーネの原稿は、本家本元だけに微に入り細に入り詳しく展開している。
たとえばワーグナーの歌劇。
馬上のヒロインが、燃え盛る火の海へと、突進していく、
このくだりを挙げながらダイナミックに解説していく。

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私たちは日夜営々として繁栄を目指す、
あるいは勝利を目指す……だが実はそれは「死」への欲動。
「死」を目指して生きているのではないか?

舞台では、ウジウジョ、ロロジョロと朗読者はいうのだけれど
音楽のほうは、どくどくどくどくと英国ロック特有の
不気味なまでの強力な重低音を休ます鼓動させて進んでいく。
どうあっても決してやすまないのだ。
無限に私たちを突き動かしていく無限衝動をあらわしている。

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まさに命がけで繁栄を目指す安倍政権。
当初安倍氏は「美しい国」と言っていたがこれはなにか?
特攻隊もまた「美しい日本」のために突き進んだのではないか?
美の極点としての散華、ゼロを目指して、知らず知らず「死」を目指して居たりはしないのだろうか?

この大戦犠牲は、日本人犠牲者300万人、ユダヤ人犠牲者600万人だけではない。
他に総計1400万人が国土を失いさまよった果てに、力尽きて、命を落としている。

死を希求しない論理、美しくもない醜悪をも包容する
確固たる論理も必要ではないだろうか。
つまり美しさなどいらない、生きのびる論理が欲しい。








posted by あがわい at 23:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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