2015年06月25日

妖精珍種1 細田妖精

支倉隆子戯曲「洪水伝説」は、全国各地を公演。
もう11回目になるが、1回ごとに趣向を凝らして飽きさせない。

第11回・洪水伝説.jpg

富士吉田市の富士山駅から徒歩10分、
画廊兼喫茶店での公演では、最後にリレー詩、
数人が同じタイトル「妖精」で、1編ずつ朗読したが、
それぞれの妖精がそれなりの妖精で面白かった。
以下は細田傳造さんの「妖精」。

細田傳造「妖精」.png

この妖精は、マットヘルス駅前2号店のお嬢さんたち。
ヘルスの妖精たちを自宅に呼び込んでのらんちき騒ぎで、気を吐いている。
ちょいと手強そうな妖精だが、ひょいと消えてくれるところがいい。
ここが妖精の真骨頂だ。

奥さんはこうは行かない。
ガンとして消えない。
しぶとく長々と亭主をいじめ続けるのも多い。
だが、いじめてくれる女が皆無を言うのもちょい寂しいもの、で
ドカンと駅前ヘルスから借りてきたという算段だ。
こっちが案外やすあがりかもしれない。
 
詩といえばまずは悲劇。
ヨーロッパ上層階級の学問のながれの中を泳いできた西欧詩篇は、
深遠かつ高雅な古代ギリシア、ローマ文学がお手本。
目の前の事実は書かない、繁栄も書かない。
だから、こういう楽しい詩は珍しい。滅多にお目にかかれない。
18世紀マウンドビル以来か?
(というと大げさに聞こえるが、本当にこの類は見かけないのだ)
 
売り子.jpg


マウンドビル
マウンドビルの場合は、ぐっとえげつない。
あくどいまでの事実であり、とことんの繁栄、
うんざりするまでの繁栄である。
そこまで突き進む。
 
何せ長い、細田詩編の100倍くらいか?
延々と続くのだ。
次から次に事実が並び、繁栄はとことん極まって、
それでもあきずに、またその先へと進むのだ。
 
作者マウンドビルは本職は医者兼理髪師、
国籍はオランダだが、金満王国英国で大ヒット、我も我もと読まれた。
だが、しっかりした方々、上層のお歴々は怒りまくり、
特に教会。
しつこく長々と真ウドビルと攻撃、裁判提訴する……
キリスト教では贅沢と貪欲が悪徳、
そればかりを書きまくるのだから、始末に負えない悪書ということになる。

ところが、お歴々の中に一人、例外がいたわけで、
この例外人が、この延々たるなかから、不変不滅の経済理論を、掴み取るのだ。

ご存じ、グラスゴー大学の哲学教授アダム・スミスの「見えざる手」だ。

アダム・スミス.jpg

すでに「道徳情操論」で、大ヒット、
令名すざまじく、アカデミーに出向くと
会員総立ちで出迎えたという大物中の大物が
この悪徳詩編に熱狂、ここからあの長々しい、
あまりに長々しい「国富論」を書き始めたのだ。

とはいえマウドビルの方は、
何かをつきつめようとして書いたわけではない。

面白くなって延々とただ延々とつづけたのではないか?

ふっと気がつくと期せずして、不変不滅の論理、「見えざる手」を浮上させていたのだ。
えてして思った所には行かない。
時としてとんでもないところに行く。

これまた見えざる手であるが、
悪徳が善なる世界を築いていく様をありありと、
誰でも見える形で書き連ねたのだ。


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2015年06月14日

砂浴4「分別の盛り場」

仲良きことは、「いやしいこと」だからな。
仲良きことは、「さもしいこと」だからな。


奥村真詩集『分別の盛り場』所収「麦人」の一説である。
奥村真『かまいたち』.jpg

奥村真「麦人」部分.jpg

まことに恐れおおくも、
聖徳太子のお言葉に逆らってなんであるが、
奥村流にいえは、17条憲法はこうなる。

「和」を以て、卑しいとなす
「和」を以て、さもしいとなす

奥村真はこう書くだけあって、
空気を読まないことおびただしく、
あるいは読んだとしても空気に従わざる事、岩の如しで、
隣席のよっぱらいに、「うるさい!」と言い放ってこの酔っ払いに殴り殺されてしまった。

その酔っぱらい、前科何犯とか、
体重100キロ近い巨漢であったのだ。
か弱い文人、奥村真にとって、
もうこういうのは、人間というより機関車であり、
トラクター、ユンボウ、戦車の類である。

こんなものにイチイチ逆らってどうする気だ!
といいたいが、彼は前言取り消さず、
2度まで言い放ったのだ。

このクダリをいちいち詳述して、
彼の詩編を紹介したが当社イガイガボン『ぬらり神』。
詩誌『光芒』で健筆を揮う高橋馨氏には、
「彼こそが真の詩人」、
また、「これぞ、詩人の死に方」と褒めたたえてもらった。

いまどきは奥村タイプの詩は少ない。
一見、精魂こらし、
技巧も華やかな詩文であふれているようで、
どれもみな、17条憲法。
和を以て尊し、「和」に逆らわない。

小さく小さく縮こまり、
器用に上手に外界をピタリと閉ざして進む。
それぞれにテーマがあるように見えて、
言っていることはただ一つ、
「私は用心しています」、これだけ。

いうほどのことだろうか?
そしてその魂胆は?
ただいやしいのだ。たださもしいのだ。
これでは人は救えない、
それどころか、我が身も守れない。
いざとなればムザムザ殺されてしまう。

なるほど、
17条憲法は大事である、
和を乱しては危険、奥村は殺され、
杉本真維子さんは、若いミソラで、ひどい腰痛とかで、
時々足をひきずって歩いている……
ろくな目にはあわないような気さえする。

だが我がジャパン国は、
この卑しい、さもしい「和」のために
一致団結クラッシュへとつっこみ、
300万人もの死者を出した国である。
「和」こそは危険千万,災いの元なのだ。

奥村真みたいに
命までも差し出そうとは思わないが、
腰痛くらいは、我慢して、
しっかり、「和」を撃退しなければならない……
かく私は思うのである。

奥村真・港.jpg








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2015年06月13日

砂浴3「和を以て尊し?」

これは、私たち日本人、みんなにあてはまるのではないか?
大事なのは人命ではない、正義でも、真実でもない、
「和」
ご存じ聖徳太子、17条憲法。
「和を以て尊しとなす」。

聖徳太子.jpg

良くも悪くも私たち日本人には、これが身についている。
あるいは身につきすぎているのではないか?

今風ににいえば「空気を読む」というか、
「和」の空気が醸し出されるのを、待つのだ。
クラッシュすれば、何より大事な「和」が生まれる。
外国人は驚くだろうが、
大事な「和」のためにクラッシュがいるのだ。

公害病など、公害企業が早期に
それなりの対策をとれば、その元々の根元を断つ事が出来る。
そうそうザクザク死ぬことはない。
そこまでムザムザ命を落とすことはない。

原子力発電所もそうではなかったのか?
文人詩人が、目下の勢いで、原発危険を騒いでいたら、
企業側もそれなりの地震対策でも着手していたのではないか?
ところが、まず誰も、誰一人として、声はあげなかったのだ。

かつてわが家の周辺で続発した公害病の場合、
当初はそれこれ声を上げ、役所にも出向いたりもしたが、
結局は、これで沈黙路線となってしまった。

「なにをやっても無駄です。10人20人死んだ所で、誰が信じてくれますか?
私達のようなのが、もっともっと沢山、100人、200人と死ななきゃだめなんですよ」

真っ暗な声で、こう言った人がいた。
クラッシュするまでは無理……
皆それには二の句はつげなかったのだ。

この公害病、詩人寺山修司の死因もこれ、
女プロレスラー某の死因もこの同じ公害病……と
それこれ情報が囁かれるが、ササヤキだけ。
大声にはならない。
つまりクラッシュするまで、手は打てない。
無駄だから、無駄声はあげない。

ではクラッシュすればいいのか、
それで解決できるのか。
原子力発電放射線被害者はどうなったのか。
生きて返してくれとまでは言えない。
せめて手厚く葬ってもらえたのだろうか?
ま、クラッシュしてしまえばもう墓どころではないのであるが。




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2015年06月12日

砂浴2「日本で道をきいたら」

日本で道をきいたら、驚いた……
外国人がTVで喋っていたのだが、
たとえば、こう答える日本人が多い。

「この道をまっすぐ進んで、突き当たったら左折して……」

突き当たったらが問題。
なぜいちいち突き当たらなくてはいけないのか?
いちいち突き当たってクラッシュしなければならないのか?

なるほどそうである。
私たちは左折にしろ、
右折にしろまずは突き当たってクラッシュ、
それからでないと動かない……
万事につけ、そうではないか?

例えば、3・11東日本原発事故。
それが問題と分かっているはずを、
その時になるまで、
つまりクラッシュするまで、立ち止まりもせず、
スイスイそこまで、歩を進めてしまう。
いざ突き当たって、盛大にクラッシュ、
さんざんの大惨事となって……慟哭、
慟哭の書が巷に溢れかえる事態となってしまった。

当然ながら福島県出身者が多い。
在住者もいる。
大変な慟哭の傑作本が書いているそうだが、
なぜ今頃書くのだろう。
なぜもっと前に書いて、警告しなかったのか?
特に福島県出身者。
かれらが危険を知らないはずがない。

詩人の杉本真維子さんが
「福島は威張るな」と発言して物議をかもしたらしいが、
この辺りを思って共感している人も多いのではないか?

この多勢の福島文人のいくらかでも
その前に騒いでくれれば
ここまで被害は拡大しなかったのではないか。
それなりの防御体制も整えて、
多数の命がた助かったかったのではないか?

よくは知られていない公害病だって、
砂浴など、対応策があるのである。
誰でもが知る放射線被害、
防御の方法だっていくらでもあったはずだ。

けれどけれど、
福島県人はひたすら沈黙、ただ待ったのだ、
クラッシュまで、盛大にクラッシュ……
危険がしっかり明白となり、
原発はやっぱり危険と、
皆の合意が固まるまで、ひたすら待ち続けたのだ。





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2015年06月03日

砂浴1「戸沢タマさんが砂浴」

奇妙な豆本やら、「ドラゴン in the Sea」で
おなじみの戸沢タマ(英土)さんは、
4年前に胸に腫瘍を発症、何人もの医師についてきたのだが、
はかばかしい成果はないままに、最近いよいよ体調悪化、
電話でもしゃべれない有様で、思い切って
砂浴でもやってみてはどうかということになった。

砂浜なら富津海岸、
我が家から徒歩4分ということで、なんとか海の砂に
漬け込んだのだが、特に快適にもならないまま、
はるばる館山から看病手伝いにきた舞踏の高梨君に
支えられて、我が家に運びいれるや
ウンウン唸っている。

異様な頭痛で苦しいとか、いっそ悪化したのではないかと
クヨクヨしながら帰宅し、東京へ戻ったのだが、
2日後、「なおった」とか、息はずませて電話がきた。
声が違う。
昔に戻っている。
元気な昔の声だ。

砂浴は、
元々は「あなたと健康社」の食餌療法の大家、
東條百合子氏が提唱されているもので、
夏になると全国各地の砂浜で開催されている。
まずはそこに参加するのが一番だろうが、
それでは間に合わない時は近場の砂浜でやることになる。

どういう病というのではない、
なぜか殆ど好転する療法で、
ひょっとすると公害病にもいいのではないか?
公害病患者も確かに2名参加,好転している。

以前、公害病のサイトをやっていたことがある。
初期のうちに気がついて手を打てば回復するもので、
あの手この手の直し方、専門医の紹介を掲載していたのだが、
まず初期の人は来ない、来る人来る人、重篤化した人ばかり。
病自体があまり知られていない場合は、
いよいよとなるまで、それとは気が付かないのだ。

「入院してますが、もう手は打てません」、
「今、死もましてん、どうもなりませんでした」……との電話が相次ぎ、
無力感に襲われてしまった。

公害病といっても、水俣病とか喘息のように
明確な症状が出る場合は手が打てる。
だが特定の症状が出ない病気の方が多い。
気づいたときは、もう遅い。
2、3日で、亡くなられる方もいる。

例えば水道汚染。
絵画作家、谷敏行君の場合、
一家中が一度に重病との診断されたのだが、
一人は腎臓、一人は高血圧、一人は肝臓、一人は半身麻痺とか、
皆病名も違う。原因がわからない。

原因を特定したのは弁護士。
水道汚染、微量ながら長年、有害毒物入りの水を飲み続け、
堆積した毒物が、それそれ弱い部位を直撃しての症状だとして
緊急転居を指示された。
住まいの一帯で、行政を相手取っての裁判が多発していたのだ。
ところが結局、谷君の場合は家族それぞれの医師の意見もあるわけで
公害病など、信じられなかったのではないか?
転居もしないままで、まずは父上の逝去に始まり
つきつぎに重篤化され、3年前に本人自身が死亡してしまった。

砂浴は病名特定できないままでいい。
富津海岸の場合は、ギリギリまで搬送、あとは5m程度歩くだけ。
そこに砂穴を掘るので、相当な重症化した人でもかまわない。

最近は公害病でも患者が急増。
かってWEBサイトで紹介した医師たちも異様なまでの盛況で、
なかには診察まで1年以上も待たされる。
待つあいだにちょっと試してみられてはどうだろうか。






posted by あがわい at 22:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする